vol.11『アカ ヨシロウと仕事』
はじめに
夫は今、仕事に夢中である。
夫が仕事に夢中な姿を印象づける台詞といえば、交際を始めて3年ぐらいが経った頃に言われたこの言葉だ。
「僕は仕事と恋人どっちとるのって言われたら仕事取っちゃうな〜」
当時はこの「あまりにも素直で、正直な台詞」に驚くだけで済んでいた。しかし前職で営業をやっていたとき、そして今の仕事に向き合っている夫は、本気の本気でこの台詞の通りの生活をしている。
正直な話、わたしは「仕事とわたし、どっちが大事なの!!!」なんて台詞は言いたくないと思っていたのだが、あまりにも仕事に夢中なので、さすがに寂しい時期が続いている。
とはいえ、仕事を終え、家に帰ってくるたび、仕事の反省を口にしたり、仕事に対して意気込んだり、毎日飽きもせず仕事の話ばかりする夫の姿に呆れながらも、徐々に「ああ、この人は今、最高に楽しいんだな」と思えるようになってきた。
月刊アカ ヨシロウvol.11『アカ ヨシロウと仕事』では、前職にも今の仕事にもイキイキと取り組んでいる夫に、アカ ヨシロウの仕事観について語り尽くしてもらった。
夫と仕事の特集。アカ ヨシロウと愛してやまない「仕事」の話。
アカ ヨシロウの仕事観
僕の仕事感について
僕にとって仕事とは「一生懸命やるもの」だと思っている。
人生100年時代と言われる昨今、僕らの定年退職はおそらく70歳まで伸びるだろう。そう考えると、仕事とは「人生の中で睡眠の次に時間を割くもの」と考えられる。フリーランスのように自分で時間の調整ができる人は違うが、サラリーマンをしている人は時間が拘束されるのは必至だ。
よく働き蜂が例に出されるが、世の中には仕事を一生懸命やらないサラリーマンが一定の割合で存在する。僕は彼らに問いたい。自分の人生が終わるときに人生を振り返って、果たして胸を張って「いい人生だった」と感じられるだろうか。と。
もちろん、人生とは仕事だけではないし、人生を後悔してもいい人は別だ。僕も基本的には「仕事以外でも、なにかに一生懸命とりくむ人生」であれば、後悔のない良い人生なのではないかと考えている。
しかしもう一方で、「仕事ぐらい一生懸命やれよ」とも思う。仕事も一生懸命できない人間が、仕事以外に必死に打ち込めれるものなんかあるのか、と。あるのだとしたならば、本来はそれを仕事にするべきである。
そして、サラリーマンであれば人生の大部分の時間を仕事に消費するのだから、その貴重な人生を必死に過ごそうとしない人間は「お前の人生がもったいないから辞めちまえよ」と思う。
後述するが、世の中には「仕事がむかない人」がいる。しかも、結構多い割合だったりする。彼らと比較すると、サラリーマン(営業)からフリーランス(ライター)になり、またサラリーマン(エンジニア)に出戻りした僕はおそらく「仕事に向いている人」だろう。
個人的には「そういった人は仕事をしない方法がないものだろうか」といつも考えており、その観点からもエンジニアになった背景がある。
キーワードは「労働からの開放」だ。
食品卸での営業時代
前職は食品卸売業で営業で入社した。もう6年前の話だ。
理系の大学に進学し、微生物の研究をするために大学院まで進学したが、研究職ではなく一般企業へ就職することにした。僕は食品卸企業に就職したのだが、この業種に決めた理由は「仕入れて売る商売の基本を学んでみたいから」だった。
スーパーに商品を卸す総合卸売企業で、僕は輸入肉を卸す部門に配属になった。あらゆることを学ばせてもらったが、今振り返って1番大きい学びは「世の中は思ったより地道な仕事で成り立っている」ことだ。普段業務をしている人なら思い当たるだろうが、世の中は全然自動化されていない。スーパーに商品が納品されるまで多くの業務があるが、その流れで説明しよう。
お店からの発注は電話でされ、その発注は業務担当が「手で」システムに打ち込む。物流センターに指示が行くのだが、物流の検品は紙に「目視で」チェックするし、トラックに積むのも「運ちゃんの人力」で行われる。スーパーに届いてからも、開店までの短い時間に「人が」陳列しなくてはならない。
どうだろう、発注から商品が棚に並ぶまで多くの人手がかかっているのだ。考えれば当たり前なのだが、やはり仕事で目の当たりになって気づくことも多かった。
営業は楽しかったが「ずっとはできないかな」と思いながら、僕なりに一生懸命やっていた。すると2年半ほどしてシステム部門への社内異動の話があり、僕はその話に乗った。
社内システム時代に大切にしていたこと
社内異動でシステム部門に入ったら、同じ会社なのに文化が違うことに興味深かった。部門を構成する人間のタイプも違ければ、取引先のタイプも違う。仕事の進め方も違うし、時間軸も違う。
なにより初日に上司が話した「お客さんや社員がムダな仕事をしないようにするのがシステムの仕事だ。」というセリフに僕はシビれた。
思い返せば僕はあの時、システムに魅了されたのだと思う。
同じ社内にいながら、営業とシステムを経験できたのはよかった。社内SEなのでゴリゴリにプログラムを書くことは無かったが、いわゆる上流工程を見ることができた。
営業から入った僕にとって当時システムの考え方は目からウロコで、僕がこれまでやってきた業務を上司は「ムダなことをやってんなぁ!」と一蹴する人だった。この時から「本当にその仕事に価値はあるのか?」と考える基盤が作られた。
システム部門でも多くのことを学ばせてもらったが、その後、身内に不幸があったり、自分の仕事のやり方を考えるようになったことが一つのきっかけとなり、2018年の年末に退社した。
その後は奥さんと同じような仕事を目指し、フリーライターを名乗った。
フリーライター時代
フリーライターとして活動していた時代はつらかった。
奥さんと一緒にいられる時間が増えたのはよいが、作業的な仕事からしか始められないことが特に辛かった。
ラン◯ーズとかで1文字1円とかから仕事をしていたのだが、ほとんどが作業的な内容だ。昔から国語が苦手で、そもそもライターがむいていないのもあるが、それより作業が多いことが辛かった。
ここで改めて「僕はシステムが好きだ」ということを認識した。
僕は基本的に同じことをしたくない。仕事のモットーは「二度とこの仕事をしなくてすむようにやる」である。システム部門で培われた「その仕事をもっと自動化できる方法はないのか」という問いに、僕は悩まされた。どんな仕事も1回目は楽しいのだが、似たようなことを続ける作業系の業務は苦痛でしか無かったのだ。
取材記事など「0から1を作り出すよな仕事」をもっと選べばよかったのだが、当時の僕には縁がなかった。なんとなくで始めた職業支援訓練のプログラム講座がメチャクチャ楽しく、「あぁプログラムを勉強して、多くの仕事を自動化したいな」と思ったのが最初にエンジニアを目指した理由だ。
そこからプログラムを勉強して、9月よりはれてエンジニアになることができた。
エンジニアになって2ヶ月
9月より新入社員である。
社員30名弱の小さい企業だが、人工知能を武器に稼いでいる企業に、開発エンジニアとして入れたのがありがたい。
振り返ってみても31歳の業界未経験で入れたことはとても運がいいし、エンジニア業界が人を募集している今だからだと思っている。あと半年遅かったらムリだったかもしれない。個人的にはそう思っている。
なんとかエンジニアに滑り込んだ僕だが、今は「次の不景気に間に合うか」をテーマに毎日マジで仕事に勤しんでいる。今は一秒でも早く、エンジニアとして技術を身につけないといけないのだ。
世の中は急速に自動化する
この数年で、世の中はどんどん自動化する。今は人手不足である業務系の仕事も、数年後には機会に置き換わる。今は売り手市場の業界であっても、若い人は5年後・10年後にその仕事があるかをキチンと考えたほうが良い。
そしてこれはエンジニアにも当てはまる。
経済産業省が今年の春に発表した資料では「2030年までにAI系の先端人材が55万人不足する」としているが、一方「従来型IT人材は10万人余る」とある。
これは「トータルで人材不足だから大丈夫」という話ではない。エンジニアが頑張って業務を自動化させることにより、レベルの低いエンジニアは生き残れない世の中になるのだ。
もし次に不景気がきたときに一番最初に切られるのが僕のような「エンジニア歴が短い中年」である。新卒でバリバリエンジニアをやっている人間が多くいる中、ただでさえレベルの低い仕事はなくなるのだから、僕は早く技術力をつけて「先端人材」にならなくてはならないのである。
人類を労働から開放したい
これは僕の今の目標である。
よく「AIが人類から労働を奪う」などと言われるが、違うのである。僕が理想としている未来は「AIによって人類が労働から開放される世界」である。
前職でRPA(業務を自動化するツール)を触ったことがあるが、システムを使った業務の自動化の効率改善は驚くものがある。以前RPAについて書いた記事にもあるが、企業がシステム導入するのは「人を雇うよりシステムを導入したほうが、早いし、正確だし、結果安いから」なのである。しかも実はRPAはAIではないのだが、それでも多く仕事が自動化されるのである。AIがもっと導入されれば、様々な仕事がAIに取って代わるのは必至だ。
だが悲観することはない。
様々な仕事がAIに取って代わられることは「人類が文明を発展させてからずっと続けてきた「労働」から、とうとう解放される」ということである。
未来では「仕事をやりたい人が仕事をやり、仕事をしたくないひとは仕事をしなくてもいいよ」という時代になる。あらゆる仕事が自動化した世の中では、「あなたが仕事をすると、むしろ効率悪くなる。お金あげるから仕事をしないでよ。」とまでなるのだ。
僕がAI系の企業に入ったのは、早くこの未来に近づいてほしいからであり、少しでもその手伝いができないだろうかと考えたからだ。
冒頭で述べたが、世の中には仕事に向いていない人が一定の割合で存在する。僕の「人類を労働から開放したい」というのは、「仕事に向いていない人がイヤイヤ仕事をしないですむ世界にしたい」という意味でもある。
仕事なんてやりたいやつがやればいい。嫌ならムリして仕事すんなよ。
そんな時代を早く迎えれるように、僕は必至に仕事をするつもりだ。
先人たちの仕事観について思うこと
今の日本の経済を支えてきた先人たちには頭が上がらないなぁと思っている。それこそ半世紀も前まで遡るが、高度経済成長からバブルを支えてきた当時のサラリーマンは超・仕事人だ。今ではアメリカ・中国についで3位だが、東の外れにある石油も出ない小さい島国が当時世界第2位のGDPの経済大国になったのも、彼らの努力の上にある。
だから僕らは昔の人の働き方を否定してはいけない。これが僕の考えだ。
今の「働き方改革」は日本が成熟した結果である。彼らの働き方は、今の日本には合わない。先人たちの働き方からぶり返しが起きたのだ。その「働き方改革」に1番ギャップを感じているのは、40歳前後の超氷河期を経験した人たちだろう。
モーレツ世代の上司をもつ彼らは、2000年前半の不況時代を若手として過ごした苦労人である。大学で一生懸命勉強してきた優秀な人も良い企業に入れなかった時代だ。辛い時代を過ごしてきた彼らは数字に強く、責任感もあり、ガッツがやばい。
彼らの境遇になりたいとは思わないが、彼らがもっと報われるようにあるべきだという考えだ。だから政府が推し進める「就職氷河期世代支援プログラム」はどんどんやるべきだと思っている。
若い世代の仕事観について思うこと
一方で、今、20代そこそこで入社した人たちについてだが、彼らは逆に言うと「不景気を知らない世代」だ。これはこれで気をつけないといけない。今は景気がいいことを肝に銘じる必要があるのだ。
改めて言うが、不景気は怖いぞ。
経済とは「波」である。良い時があれば、悪いときもある。そして今は「良い波」の時代だ。せっかく良い波に乗れた人たちは、状況に甘んじず未来に目を向けるようにしよう。
エンジニア業界も同様だが、世の中は「人手不足」な業界が多く、結果就職では売り手市場となった。
気をつけたいのが「今だけなのか」どうかだ。
先述した通り、今後の世の中はどんどん自動化が進む。今ある仕事が、5年後10年後に本当にあるか。そのときに生き残れる人材になれているか。不景気の怖さは味わった人しか分からないという。
僕も中年の新入社員である。その時に必要とされる人材になれるよう、一緒にキャリアを積んで頑張っていこう。
編集後記
本記事を編集しているときの話である。
夫の仕事遍歴から仕事観まで語り尽くしてもらったのだが、夫が「つらかった」と言っていたフリーランス(ライター)時代で鍛え上げられた成果が出ていることに気づいた。
夫はたった数日間で、4500字以上のエッセイを書き上げたのである。
わたしは交際を始めてからずっと夫の姿を見続けているわけだが、英語と文章に向き合うと手が止まってしまい、嗚咽も止まらなくなる夫が、1人で4500字を書き上げたことに驚いてしまった。
もちろん世の中には、うまい下手に関わらず「文章を書くのが苦じゃない人」や「文章を書ける人」というのはいる。彼らはおそらく4500字なんてチョチョイのチョイなのかもしれない。
だが、あんなにヒィヒィ言っていた夫が、たった数日間で、たった1人で、このWEB ZINEのために4500字書き上げたのだと思うと、感動しすぎて泣きそうになった。
夫は仕事が大好きである。
「フリーライターは向いていない」という結論に至ったものの、フリーライター時代も目の前に仕事を愛していた。その結果が、肉の知識が豊富で、会社がどのようなシステムを求めているかを知っていて、文章も書けて、コミュニケーション能力も抜群な男、すなわちアカ ヨシロウを誕生させた。
これは、本当にすごいことだと思う。
心の底から仕事を楽しむ夫を尊敬している。
次回は12月末に刊行予定。
photo / sentences / edit: Kaho Katayama
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?