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ものを書く時に考えていること(2021年10月現在)

ものを書くスタンスに大きな変化が起きるかもしれないイベントが直近で発生するので、現時点での取り組み方をまとめておく。もちろん、今週末にやっていたnote fesに触発されている部分も大きい。(特に山邊鈴さんと、倉敷保雄さん × 下田恒幸さんのセッションに非常に感銘を受けた)

なお僕は職業ライターではないので、ほとんどの場合で仕事ではない(=報酬の対価ではない)文章を書いている。(仕事に関する文章は書くけれど)

短めの文章を書く時(〜3,000字)

短めの文章を書く時は「文章を書く」ために書いていることが多い。文章の書き癖をつけるため、具体的には毎週の週記として書く文章だ。この文章もそうだ。

週記の文章は日曜の21時に出すようにしている。締め切りは決まっているが、書く内容自体は毎週日曜日の夕方に文字を打ち始める直前まで決まっていないことが多い。

文字を打ち始めるまでに、頭の中で何個かネタ出しをする。3つ出たら素晴らしいが、大抵は1つか2つしか出ない。そのネタを3分くらい頭の中でいじくり回して、文章の骨組みがなんとなく見えればそのプロットを雑にnoteのエディターにメモり、書き始める。3分いじってなんにも出てこなければそのネタは捨てる。(※プロットといっても大見出し程度のものです。)

骨組みが見えたものについては、とりあえず何も考えずに書き出し始めて、そのあとはプロットを目印にあまり考えすぎずに文章を書いてみる。書き出しに時間がかかると何も書けなくなってしまう一方、書き出せれば意外と3000字くらいは書けてしまうからだ。それで最後までそれなりに意味の通るものが書き上げられればとりあえずOKとして体裁を整えたのちアップする。

たまに書いている途中で思考が整理されて当初想定されていた流れと大きく違ってくる場合がある。そうなったらむしろラッキーで、その再考後のプロットを取り出してもう一回文章を最初から書き直す。一回やり直した後のプロットは最初のものよりも足腰が強靭となっているので、よりよい文章に仕上がる可能性が高い。

この長さの文章では、とにかく書き上げてアップすることを大事にしている。打席に立つのも週記の目的だからだ。ということで、推敲にもあまり時間をかけない。

長めの文章を書く時(3,000字〜10,000字くらい)

明確にテーマを決めた上で、綿密に練りつつ書く文章がある。例えば以下のような記事だ。

これはさすがに自然に任せるだけでは収拾がつかなくなるので、ある程度の指針をもって取り掛かる。

まずメモ帳にテーマに関して思うことをバーっと書き出してみて、それらをつなげて箇条書きのシナリオを作る。こんな感じのもの。

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一旦はこのシナリオに沿って書いていくのだけど、大抵の場合書いているうちにパンチラインみたいなものがいくつか発生し、論旨は変わらずとも、そこを部分部分の落としどころにすべく文章の構造が変わっていく。この例えは使っている人にしかわからないと思うけど、Notionでいうブロックを上下にゴリゴリ動かしながら係受けや体裁を整えていくイメージだ。

パンチラインは設計段階で狙って仕込むものだと思うが、僕は書いているうちにそれを思いつく傾向があるので一般論があまり当てはまらない。逆に最初から狙っていくとどうしても「お前それが言いたかったんだろ」感が出てしまうので、うまくいかない。パンチラインが書いている途中に浮かんでくるのは、シナリオに沿って書いていくうちにテーマに関する理解が洗練されるからだと思っている。僕ははっきりと、書くことで思考を整理しているようだ。

パンチラインの発生による変化を何回か経た末、ようやくお尻まで書き終わるも、たいてい文字数がとんでもないことになっている。冗長な部分や大仰な表現を削るダイエットを兼ねた推敲が始まる。

推敲の作業はつらい。読点ひとつまでダイエットを追い込むのもあるが、何回も何回も読んでるうちにこの文章が本当に面白いのか、誰かの役に立つのか、いっそ誰かにボコボコにされたいという暗黒迷宮に思考が飛んでいく。

怖くて出せなくなるギリギリのタイミングまで抵抗するも、最後は半ば諦めながらその抵抗を終える。やり切った!と思って出せた長い文章はとても少ない。しかし、そんな文章が読まれるとやはり嬉しくはある。

それでも神が降りてくる日がある

書きたいテーマで、しかもそれなりに長い文章にもかかわらず全く産みの苦しみを伴わずに書けてしまうケースが年に一回くらいある。

こういう記事は文章が素直なのでそれなりに読まれる。読まれるが、過程を全く思い出せないので僕自身の勝ちパターンへの昇華というか、再現性も全くない。だからラッキーパンチだと思って忘れることにしている。アラフィリップのやつなんて確か職場から帰る電車で書いた。そんなのポンポン書けるわけがない。

狙って神を降臨させられればいいのだろうけど、こういうのはたぶん、頭を抱えながら文章を書いている人へのごほうびみたいなものなんだろう。

そしてごほうびであるならば、まあ、確かにたまにでいいかもなと思う自分がいる。


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