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有休消化日記2024 Day6〜Day10

12/10(火):Day6

この日から3泊4日で北陸(富山・能登・金沢)旅行に出かける。飛行機の時間を間違えて乗り遅れそうになり、搭乗口までダッシュする想定外に見舞われつつ、無事に富山行きの飛行機に乗る。

空港からバスに乗り、富山駅に着いたらお昼だったので駅ナカ「とやマルシェ」の「西町大喜」にて富山ブラックを食べる。いかにもしょっぱそうな見た目だが、いやいや見かけによらず実はマイルドなんでしょ〜ということもなく、きちんとすごくしょっぱかった。とても美味しいとは思わないものの、ご飯と一緒に食べているうちに、妙にハマってしまいそうな魅力があった。

富山に来るのは10年ぶり。その時は富山駅に一瞬タッチダウンしてそのまま高岡から五箇荘に向かったので、富山市内を観光するのは初めてだった。とりあえず「世界一美しいスタバ」と称されるスターバックス富山環水公園店に行ってみる。

中はまあ、普通のスタバだった。いつもの「ほうじ茶ティーラテのソイ」を飲む。

昼の富山市内を歩くと、立山連峰の存在を否応なしに認識せざるを得ない。これは確かに、山岳信仰みたいなものが起こっても不思議ではないなと思う。

その後は街をぐるぐる歩き回る。

これで「そうがわ」と読む。読めない
路面電車のある日常風景
いつでも、どこからでも山は街を見ている

宿に荷物を置いたのち、夕飯は回転寿司に行くことにした。早い時間だったので駅前の店に飛び入りでギリギリで入れた。一発目は鯛にしたのだけど、口に入れた瞬間にその旨さにとんでもない衝撃が走り、頭の中にゴシック体のボールドで「とやま」の文字がドーンと浮かんだ。

寒鰤、白エビ、のどぐろ、蟹など、富山湾の地力をまざまざと見せつけられるネタを10皿堪能してお値段7,000円。東京でも回転寿司に7,000円使ったことはなかったが、ここはその価値があった。

後から知ったが、有名なお店だったらしい

12/11(水):Day7

富山駅前でレンタカーを借りて、石川県の七尾の宿まで行くことにしていた。途中、氷見の港に寄って、ブリ丼なる、気絶してしまいそうな量の寒鰤を食べられる丼を食べに行った。お値段3,000円だが、ひっきりなしに人が来ていた。

寒鰤刺身・炙り・ブリトロ

七尾を宿泊地に選んだ理由は、ここが現在能登に宿泊できる北限と判断したからだ。この旅行のテーマの一つに「いま、能登がどんな感じなのかを自分の目で確かめる」というものがあった。これは時間に余裕のある日本人として、今、必ずやっておきたかったことだった。物見遊山と言ってしまえばそれまでだけど、今やることに意味があることだと思った。

氷見から七尾まで能越道で向かう。ここはさほど地震のダメージはないように見えたが、あちこちで工事はしていた。もう修復された後だったのかもしれない。

七尾の旅館へのチェックインにはまだ時間があったので、少し足を伸ばして能登島をぐるっと回ってみる。道路が崩落していたり、家がペッチャンコに潰れているのが放置されている様子が見えた。さすがに潰れた家にファインダーを向けるのは憚られた。能登半島側に渡る橋も一つ通行止めになっていた。

陰鬱とした空模様も相まって、島全体が暗く感じ、思わず悲しい気持ちになった。これなんとかなるのかな。トリアージという言葉と、個別具体の幸福という言葉が交互に頭をよぎる。

宿は和倉温泉にある「のと楽」という高級旅館だったのだが、縮退運転というか、本来のポテンシャルを発揮できないながらも一生懸命回しているような印象を受けた。それでも、食事をはじめとして、本気を出せるところではちゃんと出してきている感じがした。

七尾の和倉温泉では、ほとんどの旅館が営業再開できていない。旅館界の帝王と言っていい加賀屋ですら、まだ静かに聳え立ったままだ。温泉郷には人がほぼ歩いておらず、建設関係車両がバタバタと往来する。ただ、手を入れられている宿はまだいい方で、建物全体が傾いたまま、そのままになっている宿もあった。

12/12(木):Day8

朝起きたら晴れていた。こうなったら行けるところまで行こうと思い、早めに宿をチェックアウトして北に向かう。しかし車を走らせて10分もすると雨が降ってきて、能登の空模様の気まぐれさに閉口する。

七尾から穴水町に入るあたりで、目に見えて自家用車が減り、大型ダンプや重機などの現場車両が増えてきた。復興させるために何かを必死で届けている人がいっぱいいるのを実感する。

結局能登町まで行って、折り返すことにした。本当は珠洲まで行きたかったのだが、その日の夕方に金沢に車を返さなければいけなかったのと、雪が降ってきてその後の状況が読みにくくなったためだ。能登町も現場車両がひっきりなしに行き交い、観光をするような雰囲気ではなかった。

高く積み上がった瓦礫

戻る途中、海に不思議なものが立っていたので立ち寄る。ボラ待ちやぐらというものとのこと。

シュッとした顔でボラを待っている人

穴水から、のと里山海道に乗って羽咋まで行く。のと里山海道は能越道とは違いあちこちで崩落や陥没が起きていて、結構な区間で40km/h制限が出ていた。この道路はもともと能登有料道路という自動車専用道路だったところ、2013年から無償化されたのだが、補修する財源を心配するレベルの壊れ方だった。

羽咋駅前で一旦休憩するも、駅前には何もなかったのですぐに金沢に向かう。ただ、その前にちょっとだけ千里浜なぎさドライブウェイに寄る。ちょっとだけ通行止めが解除になっていたので、氷見以来の観光モード。

車はもう少し借りていられたのだけど、朝から180kmくらい運転して疲れてしまったので、15時前には返す。宿に寄って荷物を置いて、ひとっ風呂浴びたのちに、カメラを持って夕方から夜の金沢観光に出かける。ちなみに金沢も10年ぶりだ。

ハントンライス
金沢駅前のこのデカい門、いつ見ても好き

ちなみに宿は「御宿 野乃金沢」にしていた。「御宿 野乃」シリーズはドーミーインの高級版だ。ドーミーインといえばいわゆる「わかってる」ビジネスホテルとして有名なのだが、そんなドーミーインが温泉をフィーチャーして磨いたらこうなりました、という感じの宿で、正直ここを旅の目的にする価値のある宿だと思った。時間があったら細かく紹介してみたい。

12/13(金):Day9

旅行最終日の朝は、宿の隣の区画にある近江町市場でうどんを啜るところから始めた。金沢のうどんは太くもっちりとしていて、つゆがおいしい。

百万石うどんの「いなりうどん」

近江町市場は市場なので、朝7時から開いている。特に今の時期は北陸の冬の幸が集結しており、賑わいと彩りがすごい。

賑わい
彩り

近江町を抜けた先にある金沢城と兼六園にも足を延ばす。金沢城は江戸時代のかなり早い段階で本丸が焼失し、その後は二の丸が本拠地となっていたことを知る。

11時の時点ですでに1万歩くらい歩いて小腹が減ったので、尾張町にある和菓子屋が経営しているカフェで抹茶パフェを食べる。ここはさすがにチェックしていた。

こちらです。

このあと、ひがし茶屋街をぐるっと回って、浅野川沿いを駅の方まで歩いて戻る。

13時前に金沢駅に着いたが、小松空港に向かうバスは15時20分。駅ナカで家族へのお土産を買ったり、ゴーゴーカレーで昼ごはんを食べたりした。別に東京でも食べられるのだけど、金沢で食べることに意味があるのだ、たぶん。(※ゴーゴーカレーの成り立ちと展開みたいな話は一応知っています)

金沢カレーの定義
定義に沿っている。合格!

空港に向かうバスに乗ると、強い雨が降ってきた。結局雨に断続的に降られた3泊4日だった。積もるレベルの雪に降られなかっただけよしとしよう。定刻10分遅れの飛行機に乗って羽田に飛び、週末夕方の都心環状線の渋滞にずっぽしハマった空港からのリムジンバスで呆然としながら、20時半過ぎに家に着いた。娘に買ってきたお土産を就寝ギリギリで紹介できてよかった。

12/14(土):Day10

7時に目が覚める。娘が学校に行く日でもあるので、気合いで起きた。

光のスピードで娘が帰ってきたのち、近所のバーミヤンでランチして、ちょっと遠くに用事を済ませに行った。が、当の用事の所要時間がかかりすぎることが判明し、断念。完全な無駄足を踏み、土曜夕方の渋滞にハマりつつ帰った。

そのほかの時間で写真を見返しつつこの記事を書いた。新しく投下したレンズ(M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO)、終盤にかけてだいぶ使い勝手に慣れてきたが、特に室内で、ファインダーでの認識よりも画像が暗く出ている。次は意識して露出を上げてみよう。

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ヒガシ
より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。