谷川俊太郎さんの訃報を受けて 本当にたくさんの人たちがいろんなところで 谷川俊太郎さんに伝えている 「ありがとうございました」が ぜんぶ光になって 届きますようにと祈っています。 「すてきなひとりぼっち」は いつもわたしの心をすこし強くしてくれるお守りのような詩。 この詩に出会ったときに感じた気持ちを これからもずっと大切にしていきます。 谷川俊太郎さん、 ありがとうございました。
ってどうゆうこと? 以前書いた「ギアを手に入れてラクに走ろう」は モヤモヤやイライラの奥にある感情を見つけ出して向き合ってみたら 気持ちがずいぶんラクになったという実感を書いたものだった。 そこで書ききれなかったことがある。 それは「自分にやさしくする」ということについて。 さみしい、傷ついているといった気持ちに向き合うには 「きびしくしないこと」 「責めないこと」 「許すこと」 が大切だ。 そこでわたしが実践していることから例を3つ出してみる。 アイスクリームを食
昨日Youtubeのおすすめに出てきた動画のサムネイルにわたしの持っている本を見つけた。 「吉本第一芸人文芸部 俺の推し本」 ゲストのいきものががりの水野良樹さんが推し本として紹介した本 「待つということ」鷲田清一 実は見つけたときすこし戸惑った。 それはわたしならこの本を誰かに紹介することはしないと思っているからだ。 でも動画のなかで 今の時点で捉えている もっとも深い意味での「待つ」というのは 「世界を信用するからこと」 と水野さんが言っていたのを聞いて 心が
「あ、また来たか」 なんだかモヤっとして元気がでない。 どうしようもないような気分。 たまにこんな気持ちになるときがあっても 「そうかそうか」とすこし余裕が出来たのは、 今は気持ちのギアが使えるから。 30歳になったばかりの頃は、 イラッとすることが多い自分にすごく嫌気がさしていた。 こんな感情を持ちたくないのにどうしてと。 でもある日、 甥っ子や姪っ子を見ていてはたと気がついた。 なにがそんなにおもしろいのか涙が出るほど笑ったり、 かと思えばいじけたり、 ふざけて
中学3年生のとき進路希望調査票が配られた。 第3希望の欄まであるそれの、第1希望のところはわざと空けておいた。 そして「留学したい」と言ったら周りの大人たちに止められた。 母をはじめ、祖父母や学校の先生たちも 「まだ早いんじゃないか」 「大学生になってからでもいいじゃないか」 と口々に言ってきた。 みんなとても慌てているような、怒っているようなそんな顔をしていた。 しばらくして担任の先生との面談があった。 順番にちょっと待ちくたびれていたのもあって、 放課後の教室で
飛行機は嫌いじゃないけど、 乗り込む時と降りる時の せかせかじりじりした感じは苦手だ。 母と一緒に飛行機に乗った時のことだ。 事前チェックインをしていなかったら、母と前後の席になってしまった。 母は喘息持ちで、 気圧の変化や、湿度が高かったりすると体調が悪くなる。 それに加えて、やっぱり年をとったからだろう。 忙しかったり、人混みの中を歩いたりしても 呼吸が浅くなって一気に体調が崩れてしまうことが増えた。 その日も母の体調は万全ではなかった。 急がないように私は歩
やっぱり旅行はいいなぁと思う。 目の前の景色やいつものルーティーンをがらりと変えてくれる。 旅行中にいつもの日常をふと振り返ってみたとき、 わたしはあまり自分をおもしろがらせるようなことをしていなかったんだなと感じることが多かった。 おろそかにしているとはちょっと違うけど、 なんだか自分をいつもすこし抑制してしまってる感じというか。 「こんなことをする自分がいたんだ」 というような、 わくわくする気持ちを日常ではなんとなく閉じ込めてしまっているんだと思う。 訪れた
わたしが忘れられないのは中学2、3年のときの担任の先生のことだ。 その先生はちょうどわたしが中学2年生に進級する春に、他校から赴任してきた。 先生の名前は加藤先生。 担当は社会科。 加藤先生は 「皆さんで決めて下さい」が口ぐせで いつもどこか飄々としていておもしろいので すぐに生徒に人気の先生になった。 卒業式の最後のHRで加藤先生は、 赴任してきたばかりでクラス担任になるのは実は戸惑いもあったことを教えてくれた後、 クラス全員のひとりひとりに宛てた手紙を手渡してくれ
昨日から少し風邪気味だ。 朝起きた時に頭がぼーっとして熱っぽかったのと、かすかな喉の痛み、鼻水、鼻詰まりの症状があった。 洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、 「あぁまたやってしまった」と思った。 これは言ってしまえば自分の体からの知らせのようなものを蔑ろにしてしまった結果なのだから。 つい1週間前まではなんか調子がいいなとウキウキしていた。 肌の調子もいいし、ヨガも出来ているし、睡眠時間もとれているし好調だなと。 ただそれから数日して、肌が少し乾燥するなと思ったときが
今日は夫の誕生日。 夫に絶対に読まれることがないとわかっているから書きます。 あなたが生まれてきてくれて、今日まで生きてきてくれて本当にありがたいと感じます。 先週の日曜日、昼食を作ってくれたとき あなたは猫にむかって 「君たちは僕がいないと生きられないね」と言いましたね。 「そうよ!その通り!頼りにしているよ!」と わたしはすかさず返しました。 そしていつものように笑いあいました。 これはもう2人の間ではよくあるやりとりになっていて、 家ではわたしは猫と一緒に「
継続は大切だ。 そうわかっていても続けるってつくづくむずかしいと思う。 継続するためによく言われるのは、 「とりあえず毎日やると決めてしまう」 「ハードルを低く設定してたとえ5分でもできるようなことをやる」 などがあると思う。 だけど実際にやってみて、 これではわたしには続けられないということがわかった。 まず、休めないことへの窮屈さを感じてしまう。 すこしの期間続けていると、 あるとき心の声が囁いてくる。 「これって本当に毎日やるの?毎日やらなきゃだめなの?」と
あっという間に2024年も4月になってしまった。 こんなふうに思うのは、 わたしのなかで年末年始の感覚が年々なくなっているからだろう。 子どもの頃、そしてまだ実家にいた頃は、 年末年始はそこで「一区切り」する感覚が 今よりももっとはっきりと感じられていたなと思う。 そしてこの感覚を感じなくなってしまっている いちばんの原因は、 わたしが四季のない国で暮らしていることだろう。 わたしが暮らしているタイでは 年末年始の時期は乾季にあたり、 すこし涼しくなるとはいえ それで
姪っ子がなんでも自分でやりたがるようになってきた。 小さな体が好奇心に溢れていて、そのエネルギーの強さに驚かされる。 微笑ましくて、可愛くて、見ていて思わず口角が上がっていくのがわかる。 そんな彼女とは対照的に、 30歳を過ぎたわたしはどんどんやらないことを増やしている。 それはここ2、3年の間で 「なんでもひと通り出来るようになろうとするのはしんどい」と、 わたしの心境が変化してきたからだ。 ひと通りって物事の程度が普通であること、 過不足がないことをいうらしい。
寝る前に1日を振り返ってみたら、 ほぼほぼ夫と会話をしていなかったと気づいた。 夫は用事があって早朝から出掛けて行って、帰って来たのは午後6時半くらい。 その後は夫の家族と夕食に行き、家に帰ってきたときには、普段からタレ目の夫の目はさらに垂れ下がり今にも閉じてしまいそうだった。 なんとかシャワーだけを済ませると夫はいつもより1時間ほど早めに寝室に向かい、 わたしがいつもの時間に寝室に来たときにはすでに寝息を立てていた。 夫は物音でわりとすぐに起きてしまう人なので、なる
2011年3月11日に起こった東日本大震災。 わたしは山形県で被災した。 その当日はただただ気が動転していて、正直なにがなんだか理解が追いつかない状態だった。 その翌日の3月12日、 「これは現実なんだ」と受け入れなければならなかったあの日のことが忘れられない。 まるで現実的でないような悲惨な状況を知り、 心の中が今までに感じたことがない分厚い不安と悲しみに覆われて、本当にやりきれない気持ちになった。 それまでは、なにかを信じるというのは、 それが真実かどうかが重要な
猫を迎えてあっという間に2年が過ぎた。 正直自分が猫を飼うことになるなんて、まったく想像もしていなかったことだ。 そんな猫飼い初心者が猫を飼うとどうゆうことになるか、どんな変化があったのか、 せっかくの猫の日なので実体験を書いてみたい。 その1 なにより猫が優先になる。 生活が猫中心の生活に変わる。それも本当にあっけなく。 私と夫の場合は、まず出掛ける頻度がぐっと減った。 お留守番でさみしい思いをさせるのが申し訳ないとも思うし、大丈夫かなと心配になるし、どうしている