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2014年 アメリカ人の夫との結婚を期に、アメリカでの生活をスタート。辛いことはあってもきっと幸せな結婚生活になると思っていたのに、結婚後に診断された大人のADHDと、そこから信じられない程枝分かれしていく沢山の問題と向き合っている、そんな毎日をつれづれなく。自分の中にしまいこんでおくには、あまりも重すぎる。
最初に暮らした祖母の家の近くにはMLBの野球場があった。 旦那の大好きなチームで、やつはそのチームの警備員の仕事を得た。 理由は家から近かったのと、警備員になれば仕事中に野球を観戦できるというもの。 これは7か月ぐらい続いたが、自主退職。 なぜ辞めたのかは詳しく覚えていないが、人間関係だったと思う。 そして、運送会社の荷物詰め込みは警備員をやめた後すぐに始めた。 こちらは夜から朝までの、通称グレーブヤードシフト。 学校もあるんだから夜中働くのはよくないのでは?と
旦那は仕事が続かない。 結婚した2014年から現在の2020年に至るまでに10個の仕事を転々とした。 最短は3日。最長は1年。 まず、仕事を探すうえで、自分にどんな仕事があっているのか どんなことが得意で、どんなことは苦手なのかを正しく知るべきだ。 旦那は人が苦手だ。 自分では「俺はフレンドリーで人と話すのも苦ではない」というが 実際に人と話すといらん事ばかり言って、必ずその場がしらける。 これは知り合いだけではなくて、例えば5分しか時間を共にしない スーパ
渡米してから約10か月、旦那の祖母の家に居候させてもらっていた。 だが、祖母と旦那のある喧嘩をきっかけに私たちは自分たちのアパートを借りた。 祖母の家、旦那の実家から車で20分程にある別の街に借りた。 結婚してから約10か月、常に祖母と暮らしていたので新鮮だった。 ただ、この時には旦那のお金に対する執着(薬を買うため)が異常になった。 アメリカはチップの文化があり、旦那はバイトで1ドル札のチップをたくさんもらっていた。 そのチップを使って、新しく引っ越したアメリカ
ADHDと診断されてからの事は、毎日本当に忙しく大変な日々に感じた。 ADHDが大変なんじゃない。 先生から処方される薬を、オーバードーズする旦那が現れた。 惜しくも自分が欲しがっていた薬は処方してもらえず もらえたのはMGの少ないやさしい薬ばかり。 今まで大好きな薬を服用していた人が、いきなりドーズを下げられると 薬の効果を感じられなくなるのだろうか。 この時点で、処方箋役はADHDや鬱に対して使っているわけではなく 自分が少しでもハイになりたいから使ってい
ストリートで薬を購入する旦那を見て、病院に行くことにした。 本人は嫌がったが、見ず知らずの道に立っている人から信用できない薬を買うくらいなら、ちゃんと病院に行って処方された薬を飲んでもらった方が安心する。 いやがる旦那を連れて病院へ。 診察室へもなぜか私は一緒に入ったのだが、嫌がっていた先ほどとは打って変わって、熱心に先生に話している。 内容はなんと、「自分にはこの薬が必要だ」という自己診断と自己処方。 ご立派な資格を持つ先生の前で、欲しい欲しいと言わんばかりに熱弁
お察しの通り、99.99%旦那と思われます。 旦那は、アメリカ軍に努めていた過去が有り、そのおかげで退役した後に学校に通うためのお金を国からもらえていた。 その為、バイトをしながら学校に通う毎日を送っていたのだが、ある日クレジットカードを確認すると大量のファーストフード等の請求とともに大きな金額をATMから引き落としているのを見つけた。 また、学校のクラスもいくつか単位を落としているようだ。 「学校に行っているのか?」聞いたところ 「さぼるようになった」と。 でも
結婚をするということで、日本の祖父が結婚祝いに100万円くれた。 この100万円はすべてドルに換えてアメリカにキャッシュで持ってきた。 学生の旦那との生活が始まってから、法律的に仕事ができない私はこの祖母からのお金を生活費として使っていた。 現金を銀行に預けようとも思ったが、「そんな大金(しかもたくさんの100ドル札)を銀行に持っていったら、何のお金か?って怪しまれるから家に隠しておいた方が良い」という旦那のアドバイスと、確かに銀行に預けると卸に行ったりする手間があると
なんだかんだ合って無事にアメリカに到着したのは2014年、私が23歳の時。 旦那の家族に温かく迎えられながらサンフランシスコ国際空港に着いた。 空港で家族とハグをして、初めましてのご挨拶をした後は早速駐車場へ向かった。9時間の長いフライトを耐え抜いた愛犬は、おしっこしたくてたまらず、駐車場で思いっきりおしっこさせてあげた。 なぜ、空港内のペット休憩所に行かなかったかというと、旦那の家族は犬がおしっこしたいだろう・・とは微塵も考えず、早く家に帰ろうとしたからだ。 とにか
ADHDを持つ旦那とのことを書きまとめようと思っていたのに、気づいたら4年も経っていた。ここに戻ってきた理由はなんと、悩みをネットで検索したところ、まさかの自分のNOTEに出くわした、という事。 きっとNOTEに来る理由はいつも決まって旦那問題なんだろう。 久々に自分のNOTEを読み返して、気づいたことは2016年から2020年まで私たちは何も変わっていないということ。むしろ悪い方に進んでいるので、記憶のある限り2019年から少しずつ書いていきたいと思う。 途中でその前
結婚を決め、夫が先にアメリカへ帰った。 本人は帰国後軍からの支援も有り、カレッジに通い始めた。 私は婚約者ビザを取る事になった。 ビザが下りたら3ヶ月以内に渡米しなければいけなかったこと、高校から親元を離れ生活をしてきた為、家族と過ごす時間が欲しかった為、仕事を辞めて実家に帰った。 ビザの申請は大変だった。 英語は好きだったが、あまり得意ではなかった。 沢山の経験者のブログを読み、お金も時間もかかる事、一度却下されたらまた一からやり直しになる事を知り、慎重に正確に申請をしてい
夫とのお付き合いが1年3ヶ月を過ぎた頃、夫が仕事を辞めアメリカに帰る旨の話を持ち出した。 そして、帰るのを期に一緒にアメリカに来てくれないか?と言われた。 当時の心境はあまり覚えていない。 ただ母に相談したら、一回の人生なんだから思う様にやったらいい、と言われた。(追記:その前に一度遠距離をしてみるのもいいかもね、と言われたのを思い出した。) ちなみに私は高校から実家を離れ寮で生活をし、その後大学から1人暮らしを始めた。 いつも自分のやりたいことをやってきた。 "まぁダメだっ
まだ日本にいた頃、あの外での暴言事件からそんなに日が経っていない頃。 夏だった。 私の仕事が終わり、夫と待ち合わせをして夏祭りに行くことにした。 夫はあまり乗り気ではなかったが、折角日本に居るのだから日本のお祭りを見て欲しかった。 駅まで夫が迎えに来てくれた。 歩いてお祭り会場まで向かっている途中で花火が上がり始めた。 会場まではあと15分程だった。 夫が急にTシャツの左胸の部分を摘み、引っ張り、離す、といった事を頻繁にし始めた。 "どうしたの?大丈夫?" "何でもない。暑い
2014年夏に日本で夫と出会った。 最初はすごく優しくて、何となく抜けてて、でも天然な人なんだと思った。 一緒にいるうちに、人が苦手っぽいことが分かった。 極度に人混みに入ることを嫌がった。 1年程経ったある朝、雨が降っていた為職場までタクシーで行くから、タクシーを呼んでほしいと頼まれた。タクシーは5分程で到着。でもまだ家を出る支度が整っていなかった。 タクシーの方が5分くらい待ってくれて居たようで、私に電話が来た。 "乗るんですか、乗らないんですか?" "ごめんなさい、まだ