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ゲーム音痴について本気出して考えてみたら

ゲームが引くほどできない。

自分でもびっくりするぐらいゲームができない。これは当たり前のことで、なぜかというと経験がないからだ。家にいわゆるゲーム機があったことがないので。

で、このゲーム経験がない、苦手であるということが、ゲームを当たり前にやっている人に全然伝わらないな~~~と思っているので、今日は何がどうできないのかということを分析してみようと思う。自転車に乗れる人は自転車に乗れないときのことを思い出せない。できない人の感じ方を知ることができる人の役に立つみたいなことがまれにあると思うので……あくまで私個人の話ですが……



・神経がつながっていない

いわゆるコントローラーを使うゲームはこれにつきる。どのボタンを押せば何が起きるのかを覚える前に、ボタンがどこにあるのか覚えられていない。まだキーボードを見ながら人差し指でローマ字を打っているような状態なので、そんなんで何かできるわけがないのだ。

私の場合はさらに、それが分からないためにコントローラーを持つ手に力が入りすぎてしまう。以前、人のSwitchで「Human Fall Flat」というゲームをやったことがある。

動作はジャンプとつかむぐらいしかなく、時間制限もないのでできるのではということだったのだが、すぐに問題が発生した。同じ方向を向き続けるということができず、なぜかその場でじわじわと回ってしまうのだ。しばらく格闘して、私がスティックを真横に傾けているつもりでも、手に力が入りすぎているせいで少しだけ斜めに動き続けてしまっているということが分かった。ゲーム運動音痴には横を向き続けることすら難しい。


・報酬回路が働かない

ゲーミフィケーションというやつがトレンドな昨今だが、これはある程度ゲームで遊んだことのある人に効くものなのではないかと思っている。ゲームで遊んだことのない私は、「頑張ったらご褒美がもらえて、もっとやりたくなる」みたいな回路があまり発達していない。長時間できないのでうまくならない。うまくならないのでご褒美がもらえない。やりたくならないのでうまくならない。みたいなのがループする。


・能動的に物語を摂取することに慣れていない

私には「やりこみ」というやつがいまいち理解できていない。

上記の記事では、今どきのゲームは攻略法が共有されてクリアされるのが前提なので「やりこみ要素」が充実している、というのが若者の思考法として出ている。確かにそうなんだろうな、とちまたで流行っているゲームたちを見ると思うのだが、これは言わば「自分でゴールを設定する」ということなのだろうなと思っている。

こういったことは、小説やマンガを読んだり、映画を見たりする物語の楽しみ方と決定的に異なっている。スタートがあって終わりがある。それを途中で止めたり、延長したりすることができない。物語というのはそうやって楽しむものだと思っているので、いきなり「何をやってもいいよ!」と放牧されても困ってしまう。

最近「omori」をやって(もちろんPC版である。コントローラー音痴だし)自分で能動的に何かやってお話を進めるというのは面白いなぁと思った。でもまだまだ見るところが無限にある。ここからこれ以上探索する元気はないぞ。○○〇と戦って打ち止めにします。


・ゲーム内の物に価値を見出す習慣がない

ゲームというものを楽しむ習慣なく大人になってしまったので、いまさら価値基準の尺度にそれを入れるのが難しくなっているように感じる。つまりは、お気に入りのキャラクターのカードにお金を払う、みたいなこと。お金だけではない。時間もだ。誰々を倒すために〇時間かけたぞ!みたいなことに、どうしてそこまで?という気持ちが拭えない。

ログインボーナスも、もらえなくても惜しくない。かわいいアバターも特に必要性を感じない。私の人生に新しく生まれた概念なので、今のところまだそれにいくら出せるか、何時間使えるかの答えが出ていないのだ。


こんな感じのものが絡み合って「できない」が完成している気がする。

じゃあやんなよピーチクパーチクうるせぇなって感じなんですけど、なんでぐずぐずしてるのかって、私がオタクだからなんですよね……ゲームアニメ漫画ラノベ、このあたりってかなり近いところにカテゴライズされていて地続きなんですよ。だからここでガコンと凹みがあるということをいつも見つめる羽目になっている。やってみたいけどできないゲームもあるし、少しだけ触れて楽しんで、全部を摂取できないことを後ろめたく思っているゲームもある。これで私がゲーム?そんなんやめてクラブで踊らね?みたいな人間だったら良かったんですが……そうじゃないからぐずぐず言っている。クラブで踊ればいいのか?

やめやめ、俺は小さく生きていくんだ。そういえばFGO7周年ですね。おめでたい。一応2015年に始めてはいて、まだ1部を終えたところですが、めでたいとは思っているんです。信じて。


今日はここまで。ありがとうございました。


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