この世は素晴らしいちうわけや
戦う価値があるちうわけや。……でお馴染みヘミングウェイ。この美しい文章より紡がれた
『誰がために鐘は鳴る』は、儚くも力強い生の実感を、我々に与えたのではないだろうか。
どうも、関西生まれのKHや。よろしゅうな。
言うまでもなく『方言翻訳』の続きです。
海外作品を読む、または観る際、僕のように「This is a pen.」からそう遠くないレヴェルの語学力しか備えていない方々は、良くも悪くも翻訳の雰囲気に頼らざるを得ないわけで、勿論それがどのような作品だとしても、しっかりと作風に合わせた言葉選びが出来る翻訳家の皆様は、とんでもないセンスの持ち主なのだろう。
ただ翻訳の必要性は、海外作品に限った話ではないはずである。仮に、である。仮に、大阪生まれで大阪育ち、コテコテの関西弁を操り、阪神タイガース一筋の老人がおられたとする。しかも、老人は同じ環境で育った奥様と暮らしており、大阪のローカル番組しか映らないTVを悪徳業者から購入したとする。関西弁以外と触れ合う機会がなかなかない方である。
この老人に、武田鉄矢の名演が光るドラマ、『101回目のプロポーズ』を自然に観て頂こうとすると、どう考えても以下のようになる。
……あれ、なんか良いぞ。
より物語が濃いものとなっている気がする。
というより、この台詞を喋る武田鉄矢が容易に想像出来てしまうのがおもしろい。
次は、ジブリの名作『風立ちぬ』。菜穂子と次郎が再会を果たした感動的なシーン。
……あれ、なんか良いぞ(二回目)
何故だか奥ゆかしさが増して、より菜穂子の愛おしい感情が伝わってくる気がする。
さらに、菜穂子の生を想う妹の怒りに対し、次郎が諭すように語った言葉。
なんか、良いぞ──と思ったが、さすがの僕も「どエライ」には納得しかねる。たしかに、説得力はあるかもしれないが……。
なんだかんだ、コテコテ関西弁版の名作劇場も、普通に感動出来そうだ。これには、前述の老人も満足だろう──と思ったが(二回目)、これってただ単に僕が関西弁になれているからそう感じるだけなのだろうか。どうでしょう?
因みにジブリ『風立ちぬ』でも引用された、「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」は、大阪フィルターを通すとこうなる。
ううむ、これは試みがなければなりまへん。