後亀山天皇
後亀山天皇(ごかめやまてんのう、生年不詳 – 1424年)は、南北朝時代末期から室町時代初期にかけての南朝の最後の天皇で、在位期間は1383年から1392年まででした。後亀山天皇は、長慶天皇の弟であり、南朝第4代の天皇として即位しました。彼の治世中に南北朝の対立が収束し、日本は再び形式上の統一を果たしました。
1383年に即位した後亀山天皇は、吉野を拠点に南朝の正統性を主張し続けましたが、南朝側の勢力は次第に衰退し、北朝および室町幕府が全国的な支配を確立しつつありました。このため、南朝は和平の道を模索するようになり、1392年に足利義満の仲介によって南北朝の合一が成立します。これにより、後亀山天皇は三種の神器を持参して京都に入り、北朝の後小松天皇に神器を譲渡しました。この和平は「明徳の和約」として知られ、ここに南北朝時代は終結しました。
しかし、南北朝の合一後も、後亀山天皇の譲位は形だけのもので、南朝側の皇統が正統であるという主張は消えず、後の時代に再び南朝の正統性が主張されることもありました。後亀山天皇は譲位後も京都には留まらず、吉野に戻って余生を送りましたが、彼の没年は1424年とされています。後亀山天皇は、南朝の最後の天皇として歴史に名を残し、南朝の正統性をめぐる議論の象徴的な存在となりました。
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