後花園天皇
後花園天皇(ごはなぞのてんのう、1419年7月10日 - 1471年1月18日)は、日本の第102代天皇(在位:1428年 - 1464年)です。称光天皇が後継者を残さず崩御したため、後小松天皇の弟である伏見宮貞成親王の第一王子として皇位を継承し、持明院統から皇位を継いだ初の天皇となりました。後花園天皇の即位により、皇統の分岐が一時的に解消されました。
生涯と出身
生年: 応永26年(1419年)7月10日
出身地: 山城国(現在の京都府)
父: 伏見宮貞成親王
母: 庭田経子(庭田家出身)
経歴
即位
正長元年(1428年)、従兄の称光天皇が後継者を残さず崩御したため、9歳で即位しました。この時、室町幕府の将軍である足利義教が天皇の後見人として朝廷と密接に関わり、政務を監督しました。在位中の出来事
在位期間中は室町幕府の内紛、特に応仁の乱の前兆となる勢力争いや、度重なる災害など困難が多かった時代でした。特に、嘉吉の乱(1441年)や文安の飢饉(1449年)などが重なり、財政的困窮の中で朝廷の権威が低下しました。後花園天皇自身は質素な生活を心がけ、貴族や寺社に資金援助を求め、朝廷の維持に努めました。禅譲と隠退
寛正5年(1464年)、息子である後土御門天皇に譲位しました。後花園天皇は譲位後も院政を行わず、隠居生活を送りましたが、なおも朝廷への影響力は保ちました。
崩御
没年: 文明3年(1471年)1月18日
享年: 51歳
後花園天皇は、天皇として節約と質素な生活を心がけ、財政難の朝廷を支える努力を続けました。その後、皇統は後土御門天皇に引き継がれ、後世の皇位継承の安定に貢献したと評価されています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?