後光厳天皇

後光厳天皇(ごこうごんてんのう,1338年 - 1374年)は、日本の第4代北朝天皇(在位:1352年 - 1371年)で、南北朝時代の動乱の中で即位した天皇です。本名は益仁(ますひと)親王で、父は光厳天皇、母は藤原為子です。後光厳天皇は南北朝の対立が激化する時期に在位し、北朝の権威を守るために努力しました。

1351年、北朝の内紛である「観応の擾乱」の影響を受け、崇光天皇が廃位されると、益仁親王が後光厳天皇として即位しました。しかし1352年、南朝の勢力が京都を制圧し、後光厳天皇は京都から追われて一時的に幽閉されるなどの試練を経験しました。これは、足利尊氏と南朝の間で進行していた和睦交渉(正平一統)の影響でもありました。

その後、足利義詮(尊氏の子)らの支援で京都へ戻り、後光厳天皇は北朝の正統として在位を続けますが、在位中の南朝との対立は続き、安定した治世とは言えませんでした。天皇自身も戦乱の影響を受け、1368年に弟の後円融天皇に譲位し、自らは上皇として余生を過ごしました。1374年に崩御。

後光厳天皇は、その在位中に経験した南朝との対立と京都奪還の試練を通じ、北朝の天皇としての地位と威厳を守ろうと努力した天皇でした。南北朝の対立期の象徴的な天皇の一人として、重要な歴史的位置を占めています。

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