近衛天皇
近衛天皇(このえてんのう)
生没年:1139年6月16日 - 1155年8月22日(享年17)
在位:1142年 - 1155年(第76代天皇)
父:鳥羽天皇(第74代天皇)
母:藤原得子(美福門院)
近衛天皇とは?
近衛天皇は**「数奇な運命を辿った短命の天皇」** です。
父・鳥羽上皇と、父の寵愛を受けた側室・美福門院(藤原得子) の間に生まれ、幼くして天皇に即位しました。しかし、わずか13年間の在位ののち、17歳という若さで崩御しました。
➡ その早すぎる死は、崇徳上皇の「呪い」だったとも噂されました。
即位(1142年)
1142年(4歳):父・鳥羽上皇の意向で、異母兄の崇徳天皇(23歳)を廃位し、即位。
即位の背景
崇徳天皇の母・待賢門院より、美福門院(近衛天皇の母)の方が鳥羽上皇の寵愛を受けていたため。
近衛天皇を即位させることで、崇徳上皇の影響力を排除しようとした。
➡ 鳥羽上皇が完全に政治を握る「院政」の時代が続いた。
➡ 近衛天皇自身は、政治の実権を持つことなく、「院政の象徴」としての天皇だった。近衛天皇の治世(1142年 - 1155年)
この時代の政治は、すべて鳥羽上皇が行ったため、近衛天皇の存在はほとんど目立ちません。
近衛天皇が実際に行った政策はほぼなく、記録にもほとんど登場しない。
ただし、天皇としての公務はこなし、儀式などには参加していた。
一方で、母・美福門院が朝廷内で大きな影響力を持つようになり、後の争いの原因となる。
➡ 鳥羽上皇の院政を支えた「傀儡天皇」だった。
近衛天皇の突然の崩御(1155年)
1155年、近衛天皇は突然病に倒れ、17歳で崩御。
病名は不明。
当時、「崇徳上皇の怨霊の仕業」という噂が流れた。
近衛天皇には子がいなかったため、皇位継承が問題となる。
➡ 近衛天皇が死んだことで、後継者争いが勃発し、翌年「保元の乱」が起こる。
近衛天皇の死後と歴史的影響
後継者選びで対立が発生
美福門院(母):後継に後白河天皇(異母弟)を推す
崇徳上皇(兄):自分の子を天皇にしたい
➡ 鳥羽法皇が崩御(1156年)すると、皇位継承問題が決定的となり、「保元の乱」が勃発!
➡ 結果として、崇徳上皇は敗北し、流罪。武士の時代が始まる。まとめ
在位期間:1142年 - 1155年(13年間)
実権なし:父・鳥羽上皇の院政のもと、政治の実権を持たなかった。
突然の死:17歳で急死し、後継者争いを招く。
歴史的影響:「保元の乱」(1156年)を引き起こし、日本の政治構造を大きく変えた。
➡ 結果的に、近衛天皇の短命が「武士の時代の幕開け」を加速させたと言える。