母語話者はどのように言葉を身につけ、使うのか。日本語の研究を通して、言葉の一般性を追究。
2024年4月に開設する国際日本学科に所属する(予定)教員にお話を伺う「先生インタビュー」。研究の内容はもちろん、先生の学生時代や趣味の話まで、幅広いお話を伺います。
第6回は言語学が専門で、母語である日本語の観察を出発点として、生成文法理論の考え方に則って言葉の形態、統語、意味に関わる現象の分析を行っている竹沢幸一教授です。
竹沢幸一教授プロフィール
大学院時代に念願の海外留学を実現
将来は高校の教員になろうと思っていたという竹沢先生。教科は大好きだった英語の先生をめざそうと考えた。
――英語に興味をお持ちになられたきっかけは?
竹沢先生:サッカーが好きで、海外のサッカーに関する本を読みたいと思ったことが、英語を勉強し始めた最初のきっかけです。それが中学生のときですね。そこから英語が好きになって、海外への興味も語学の勉強を通じて広がっていきました。
もともと教員になるために東京教育大学を志望していたのですが、教育大の筑波移転に伴って筑波大学を受験。1975年に人文学類に入学しました。
――大学での勉強は?
竹沢先生:教職課程を履修するとともに、大学で出会った言語学について幅広く学びました。英語学をはじめ、フランス語学や社会言語学など、興味の赴くままにさまざまな分野に取り組みました。
――当初は教員をめざされていたわけですが、研究者の道に進路変更した理由は?
竹沢先生:大学院に進学する仲のよかった友人に誘われたのがきっかけです。私自身、言語学の研究が面白いとも感じていたので、進学して研究を続けるのもいいかなと。教員免許も取得しましたが就職はせず、卒業後に大学院の言語学専攻博士課程(5年一貫制)に進みました。
大学・大学院では英語学を専攻
大学院でも専門は英語学だったが、研究を進めていくなかで日本語にも興味をもつようになる。
留学生のチューターを務め、担当した留学生の日本語の研究をサポートを通じて、「日本語の面白さ」に触れることになる。
竹沢先生:アメリカのコーネル大学から留学している大学院生だったので、日本語を学ぶというのではなく、専門的に日本語を研究されていました。彼女が、指導教授から課題として与えられた言語学(日本語)に関する論文を一緒に読むなかで、母語である日本語の文法的なルールや構造に触れることになり、改めて面白いなと感じました。
――先生ご自身は、英語の研究をされていた。
竹沢先生:英語学を専攻していましたが、その中でも生成文法というのが私の専門分野になります。平たくいうと、英語の分析を通して、人間言語の共通点などを探り、言葉の一般性について考える学問です。
生成文法については、同じく国際日本学科に就任予定の山口真史准教授のインタビュー記事でも解説いただいているので、以下の記事もご参照ください。
奨学生として海外の大学に留学
大学院で修士号取得後、ロータリー財団の奨学生としてワシントン大学大学院に留学をする。
海外への興味から留学にはもともと関心があったが、自身が取り組んでいる生成文法の本場はアメリカで、現地で研究を深めたいという思いも強かった。
――実際に海外留学を体験したご感想は?
竹沢先生:当時のワシントン大学大学院では音韻論、統語論、意味論の3つのイントロダクションのコースがあり、それらを踏まえた上でセミナーということになります。日本で言語学に関する基礎的なトレーニングをかなり受けてきたので、授業の内容的なことで困るということはありませんでした。ただ、博士論文のテーマ決定には苦労しました。
――どういった点が大変だったのでしょうか。
竹沢先生:生成文法は、基本的に「自分の母語を対象に、内省を使って無意識のうちに持っている母語の特徴を分析し、そこから人間言語の特徴を明らかにするもの」です。その点を踏まえ、指導教員から「自分の母語を使って研究しなさい」とアドバイスを受けました。日本語には興味はありましたが、これまで英語の分析がメインだったので、なかなか日本語のデータを使った面白い研究テーマが見つからなかったんですよ。
また、指導教授から「私よりも日本語生成文法についてよく知っている人がいるから、別の所に行ったらどうだ」ともお声かけいただき、大学を変わるというのではなく研究生のようなかたちで受け入れてもらえないかといくつかの大学に連絡し、最終的に後の勤務先にもなるマサチューセッツ大学アマースト校にしばらくの間お世話になりました。
――今話題に上がりましたが、博士課程修了後にマサチューセッツ大学で教員をされます。
竹沢先生:東アジア言語・文芸学部の教員として、日本語と日本語学の授業を受け持っていました。日本語の指導としては、ワシントン大学でティーチング・アシスタントやインストラクターをやっていたときにも経験しています。いずれの大学でも、さまざまな学生が受講してくれていて面白かったですね。
また、母語話者じゃない人たちに日本語を教えていくなかで、日本語の具体的な構造など、改めてこちらが気づかされることも少なくなく、その意味でも貴重な体験となりました。
言語学の魅力について
一口に言語学といってもさまざまな専門分野があり、そのなかで竹沢先生は統語論の研究に取り組んでいる。
同分野を過不足なく説明しようとすると専門性が高くなってしまうので、その学びのエッセンスがわかる事例をいくつか挙げていただいた。
曖昧性について
上の文は意味が曖昧(2つの意味に取れる)とされるが、わかるだろうか?
一つは、足が折れていて(=骨折していて)椅子に座っている男性という意味。
もう一つは、足(脚)が折れている椅子に座っている男性という意味。
最初は気づかなくても、母語話者であれば2つの意味がどのようなものかということがわかるだろう。
また、同じ表現を英語に翻訳した場合、
となり、英語の母語話者に確認すると、日本語と同じように2つの意味に取れる曖昧な表現になるという。
――単語はもちろん、語順などもまったく違うけど、日本語でも英語でも2つの意味に取れ、曖昧性が生まれる。
竹沢先生:そうした点が面白いところです。英語でも日本語でも、別に教えられたわけでもなく、試験に出るから覚えたわけでもないのに、母語話者はそうした知識を持ち、意味の違いを理解します。
――たしかに、なぜそうなるのかを説明することはできませんが、曖昧性があることはわかる。
竹沢先生:私たちは頭の中で「無意識の言葉の計算」をしていて、上の事例のケースでは、そうした結果として曖昧性を理解します。そのメカニズムを生成文法の理論を使って解き明かすのが私の研究テーマで、一つの言語だけではなくさまざまな言語にもアプローチし、母語話者が当たり前のように使っていたり、理解していたりする共通の特徴を見つけ出して、そこから人間言語全体の特徴を詳らかにしていきます。つまり、言葉から人間の知識全体の謎に迫るわけですが、そのあたりが言語研究の醍醐味ですね。
容認可能性について
母語が日本語ではない留学生などは、よく「私は」なのか「私が」なのかなど、助詞の問題で壁にぶつかることが少なくない。
上の事例の場合、bのケースでは「ジョンさんは上手に日本語を話す」なら問題のない文ですが、「日本語が話す」とするとおかしな文になる。
一方、aのケースでは「日本語を話せる」「日本語が話せる」のどちらでも問題ない。
――文の「容認可能性」ということですね。
竹沢先生:そうです。私たちは、こうしたことを深く考えることもなく使い分けています。その母語話者がもっている「知識」はどういったものか、それを理論的に考察し、解き明かしていくわけですね。
――その理論というのがチョムスキーが提唱した生成文法。
竹沢先生:1950年代に発表されて以降、世界中の多くの研究者によって理論が修正され、どんどん新しくなってきてます。生成文法は言語一般の理論で、対象言語として私は当初は英語の分析に取り組み、必要性を実感をしてアメリカ留学中から日本語にも本格的にアプローチするようになりました。
研究の対象は日本語ですけれど、日本語の特質を考えるのではなくて、日本語を通して言葉の一般性を考えていくわけですね。ですので、日本語を分析しているからといって日本語という個別言語の研究をしているのではなくて、それを通して言葉一般について考察を深めます。
言語研究の目的
他の動物と違い、人間を人間たらしめているものの中心に言葉がある。
言葉でのコミュニケーションができない他の動物の場合、強いものが他を支配する弱肉強食の社会が築かれ、人間にもっとも近いとされるサルにおいても、一番力が強いものがボスになって社会を構築していく。
――人間はそうではない。それを担保しているのが、言葉だと。
竹沢先生:おっしゃる通り、言葉があるからです。言葉は我々人間のさまざまな行動のベースになっていて、政治もそうですし、人間の行動を言葉で律する法律もそうですし、知識を言葉でもって伝える歴史や教育もそうです。また、芸術にも不可欠ですし、それを鑑賞する評論なども言葉をもってなされます。
――そんな人間の根本を成す「言葉」を研究することで、人間そのものを詳らかにしていく。
竹沢先生:まさに、人間の根本である言語について研究することによって、人間全般の特徴が見えてくるところもあるでしょう。その点が、言語学の分野を研究する何よりのやりがい、面白さになっています。
趣味はサッカーよりも畑仕事!?
海外のサッカーに関する本を読みたいと思ったことが、英語を勉強し始めたきっかけという話があったので、趣味はサッカーですか?とご質問すると、「好きではありますが、熱心なファンというほどではありません」と竹沢先生。
――もともとサッカーが好きになったきっかけは?
竹沢先生:中学校から部活でサッカーを始めて、その頃は熱心に取り組んでいましたが、今はテレビで試合がやっていれば観るくらいの感じです。
――それでは今の趣味は?
竹沢先生:筑波にいたときは家の隣に畑があったので、運動不足解消も兼ねて畑仕事をよくしていました。作物はいろいろなものを作っていましたが、特にブリーベリーは熱心に育てていて、毎年たくさんの収穫がありました。
――今も畑仕事をする機会はあるんですか。
竹沢先生:拠点が関西になり、畑仕事はできなくなりましたね。妻がもともと京都におり、これまでは二拠点での生活でしたが今は京都で一緒に生活しています。落ち着いたら、せっかく京都に来たのでいろいろ散策してみたいと思っています。
――言葉の構造や意味などを専門的に追究されているわけですが、プライベートで読書しているときに、「そこで使われている言葉が気になる」といったことはあったりするのでしょうか?
竹沢先生:小説を読んでいて中身よりも表現の仕方などについて、「これは良い文なのかな?」「おかしくない?」と思ってしまうことは、しょっちゅうあります。「どういった文法的な構造をしてるんだろう」「構造的に面白い表現だな」とか。そういった引っかかりが気になって、純粋に小説を楽しめない場合も少なくありません(笑)。
さいごに
母語話者は、自身が身につけた母語を――例えば、私たちの場合は日本語を、特別意識をしなくても自由に使いこなせる。
その無意識で行っていることを論理的に解き明かそうとするのが生成文法の世界で、同分野を研究する竹沢先生は、当たり前のことを自明のこととして受け流すのではなく、「なぜ」という視点を常に意識してほしいとメッセージを送る。
竹沢:私たちは当たり前のように言葉を使っていますが、頭の中で無意識の計算が行われ、いろいろな知識を無意識に引き出しています。例えば、「この単語とこの単語をこうくっつけたら良い文になるけど、別の方法でくっつけると間違った文になってしまう」「この構文だと曖昧になるけれども、この部分を少しだけ変えるとその曖昧性が消える」といった思考実験を、頭の中を実験室として使って繰り返すことができるということです。
――自分が意識せずに使っているものを意識化することで、思考のパターンも多様になり、深まるように思います。
竹沢先生:先ほども言いましたが、人間の根本を成すのが言葉で、自分が話したり書いたりするのはもちろん、音として言葉を聞いているときも、もっと言うと音がないときでさえも、頭の中でぐるぐる言葉が渦巻いています。頭の中で無意識の計算をしながら、言葉を引き出しているわけです。
――そのメカニズムを解き明かす。
竹沢先生:はい。脳から言葉を引き出すメカニズムは非常に面白い現象なわけですが、「その面白さを皆さんにも実感してもらいたい」というのが私の一番伝えたいことです。
そして、さらに踏み込むと、人間言語共通の特徴にも気づくわけで、例えば一見まったく違うように見える言語である日本語と英語も、よく見るとこんなに共通点があるということを実感してもらいたいですね。
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