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「嫌いになっちゃった」

後ろに座る男の子二人組。聞き耳立てるつもりはなかったのだけど、聞き慣れない不意の言葉に息が詰まった。

「俺あいつのこと嫌いになっちゃった。」

これを発した男の子は今どんな表情をしているのか。後ろを振り向きたい衝動を抑えて続きを待った。

「やっぱり、無理だと思った。ごめん」
「そっか」

その声色に冗談の色は一切なくて、ただひたすらに申し訳なさそうな弱弱しい声。それが忘れられなくてぐるぐると考えてしまう私。

彼の背景は全く分からない。
もともとグループで行動していたのかな。
なにかきっかけがあったのか。
じわじわと合わないなと感じ始めたのか。

「なっちゃった」という言葉の申し訳なさ。不本意という感情。
これに反して「嫌い」という強い意志。
伝えずに留めていられなかったのか。伝えずにいられないなにかがあったのか。

私はこの会話を聞いてしまってから、一日中ぐるぐる考えてしまった。

「嫌いになっちゃった」という言葉だけで想像することは容易じゃない。でもなんとなく、相手が受け入れられなくなってしまった、変わってしまったのかなと思った。それも目指す方向とは逆の方向へ。

人は変わる。
最近それをすごく強く感じる。

生活する環境や、お仕事、恋愛、いろんな外的要因でその人は気づかない様子だけど、確実に変わってる。こちらから「あれ」と思う瞬間がある。
恋愛が絡んでくると特に強く感じる。
例でいうとなんだろう。地動説を信じてたのに急に天動説信者に変わる感じ。わかりにくいか。

先日まで、「自分は幾千とある星の1つ」だった彼女が、いつの日か「惑星は地球の周りを回る。私は地球に住んでいる。」可能性に気づいたような。前者の彼女も好きだし後者の彼女もそれはそれでいい。

自信のある人は美しい。外国人の感性だと自信を持っている人は信頼できるし魅力的と言われる。英文法や単語を間違えてても「えっと、あの」と言わずに、「そのまま言い切れ」とスカイプの先生によく言われる。

自己意識の変化自体の話じゃなくて、その変化があまりにも一瞬なことに私は驚く。突然別人になったような。うーん例えるのが難しいけど、アンチ喫煙だった友人が彼氏が出来た途端吸い始めて、びっくりしたとき価値観はあっという間にひっくり返ると知った。

この変化は適応をはらんでいるからあっという間なのかも。彼氏の人柄に寄り添う形がたまたまそれだったのか。まあそこじゃないか。

その中でもさらに、人に変わらないことを期待してはいけない、と思う。あくまでも私の意見だけど。

それはその人への押し付けだし、自分が縋ろうとする甘えにすぎないと思ってしまう。

「なんか今日雰囲気違うね」

服装とかメイクの違いを指すのかわからないけど、昨日の私とはもちろん違う。私だって毎日変わっている筈だ。

銀杏嫌いだったけど食べられるようになった。美味しいと思うようになった。これも変化だ。

嫌いだったけど、好きになったがごろごろあるように、好きだったけど嫌いになっちゃったも実はごろごろあるのかもしれない。

バスの男の子も自分の変化に驚き、悲しく思いながら受け入れた結果だろうか(考えすぎ?)

私にとって、嵐の活動休止は私の青春が1つの区切りとして終わった。

後2年あるし、また活動してくれる可能性があるのにこんなに空虚な気持ちになるのは、変わらないものがないと突きつけられたこと。

青春の象徴が幕を閉じることに時間の経過を感じさせられたことなんだと思う。

名前はおろか顔もわからないけど嫌いになっちゃったことで、自分を責めなくていいと私は思うよ。



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くるみるく
20年ほど生きてきて友人と話していると結構みんな映画を見ていてしかも個性があることに気づいて、映画についての感想をもっといろんな人とお話ししたいと思って初めてみました。またこれが映画を観ようか迷ってる人の背中を押せたらなおはっぴーです。(紹介文として)