母が音楽フェス(CDJ)に行くと言った時
疑問は検索が当たり前。そんな時代。
私が生まれたとき、家にはとんでもなく分厚く重い、湾曲するディスプレイがあった。幼心にこれは何でも教えてくれる物知り機械と認識していた。
家族の人気者だったそれは今ではそれぞれの手のひらに収まるようになった。
日々の生活において、検索しない日はない。今日の夕ご飯のレシピや掃除の仕方、時刻表に洋服…なにもかも検索している。
それだけじゃない。
不安なことも、悩むことも、すぐインターネットの知らない”誰か”に尋ねてしまう。
そうして安心しようとしてしまう。その悩みは私のものではないのに。
そんな自分を痛感した話。
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カウントダウンジャパン(CDJと呼ばれる)というフェスがある。年末に幕張メッセで開かれる大きな音楽フェス。
比較的 #邦ロック好き な私と同世代くらいの若い人が多い気がする。
4つのステージがあってその時聴きたいアーティストを聞くことができて、疲れた時は屋台でご飯やお酒を楽しめて、毎年ウン万人が訪れる。
私は去年初めて友だちに誘われて行った。初フェス。
いつもだったら年末は家のこたつでちゃんこを着て、
ぐうたら もぐもぐ げらげらしていた。
うってかわって去年の年末は、今までとのギャップに風邪を引きそうだと思ったくらい真逆の年末だった。(本当に年明けインフルになった)
鼓膜を震わす爆音と、
野太い声や黄色い声の混じり合う歓声と、
年末の浮き足立った人々の表情は私にとって新鮮で、こんな年末もあるのかと緊張した。
しかしその熱気に浮かされ私も次第に楽しくなった。
年をこえようとするその時は、友達も知らない人でさえもみんな一緒に新年を祝いあった。外は身震いする寒さなはずなのに私は半袖ではしゃいでいた。まるで気分は夏休みだった。
あんなに楽しかったから、
今年も友達と行こうと話していた。
友達の好きなバンドのMrs.Green Appleは28日だから私たちはその日にしようかなんて話していた。
他のアーティスト誰が来るんだろう。予習していこうか。
なんてやりとりをして、ふと思った。
母、バンプ好きだな
母はイントロを聴いただけでどの曲か当てられるくらいバンプオブチキンが好きで、うちの車では365日年中無休でバンプのライブ中。
この前実家に帰ったとき、それを思い出して2バンプが出る日にCDJ行くことを話した。
すると母は「えっ!行きたい!」と言った。
えっ
私が産まれてから、母がコンサートやライブに行ったことは1度もない(と思う)聞いたこともないし。
特定のアーティストが好きだと聞いたのもここ数年だし、そもそも田舎から都心に行くのも母にとっては久しぶりだと思う。
そんな母がフェスに行きたいと言ったことは私にとって衝撃だった。
そういえば、1人暮らしで都心にすぐにいける私を羨ましいといつもつぶやいていたし、妹の部活と主婦業とパートで自分の時間が取れない母はいつもせかせかした毎日を送り、したいことを我慢していたのかもしれない。
あの一言でようやっとそれに気づいた。
自分から行きたいと言ってくれたせっかくの機会だから私は母に楽しんでもらいたい。
私は母と母の友達の分のチケットを買う手伝いをした。
でもその反面、実と言うと、
ちょっと不安な気持ちがあった。
フェスは若い人が多いし、コンサートと違って席があるわけでもない。座りたいときに座れないかもしれないし、何をするにも待ち時間がある。幕張メッセまで電車で数時間。疲れてしまわないかな。楽しんでもらえるかな。辛かったからどうしよう。
いろんな不安が私の頭に次々とよぎる。
私の手は勝手に動いていた。
「親世代 フェス」
「フェス 大人 楽しい 」
20分くらい調べて結果はなにも得られなかった。
あれ?なにしてるんだ私
ハッとした。
どうしてこんなこと調べてるんだ?
フェスに年齢制限はない。誰が楽しんだっていいんだ。行っちゃダメなんてことはないし、楽しいか楽しくないかなんてインターネットに聞くことじゃない。
帰ってきた母に聞くべきなんだ。
だって母はこんなに楽しみにしている。
私が不安を煽ってどうする。
私はなにかに縛られて考えていた。
とても失礼じゃないかと気付いて、恥ずかしくなった。
たしかに若い人が多かったりするかもしれないけど、そのフェスの本質は様々なアーティストの音楽を楽しむことだ。
私が母の足を止める権利はどこにもない。
私がするべきことは、母がフェスを楽しいと思ってもらえるようにできる限りのサポートをするだけでいいのかもしれない。
不安な自分を安心させる検索はよくない癖だ。
答えが仮にあったとしても、それは母のことではない。
別の誰かの話だ。
無意識のうちに、誰でもない私の母を枠にはめ込んでしまっていたことに気づいた。
私は検索する時、いつもそうだ。
友達の誕生日プレゼントを選ぼうとして、悩んだ末に「大学生の女子が喜ぶプレゼント」という見出しの記事を漁っていたのだけど、
それは友達を「女子大生」という枠にはめ込んで考えているにすぎなかった。
なにが嬉しいかなんて人それぞれ。私は彼女の好きな野球の試合のチケットを渡した。
わからないことをすぐ調べるのは悪いことじゃない。便利だしね。
でも1回スマホを置いてみると見えてくるものがあると気づいた。
当日、母はどんな顔で帰ってくるのだろうか。不安だけど楽しみだ。
それでいいんだ。
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