優しくなれたら優しくなる
介護が始まったのは、今から3年ほど前だった。母自身だって、きっと混乱し始めていたはずなのだ。でも、それ以上に、自分の方が受け入れがたく、認められない状態が続いた。
認知症。その病名も、症状もそれとなく知ってはいたけれど、分かっていなかった。と言うよりも…分かりたくなかったのだろう。
介護者のイライラは、そのまま被介護者のイライラになる。被介護者の不満は、そのまま介護者の不満に返ってくる。
奇声、暴言、暴力…受ければ、いけないと思いながら、同じことを返してしまう。そんな日が長く続いた。母の顔を見るのも、苦痛だった。悪循環で。家族の人間関係も険悪になってきた。最悪の状態だった。
母の介護度がしだいに進み、直立姿勢がとれなくなり、自力歩行ができなくなり、食事、排泄も家族の介助の手が必要となった。その頃から、やっと自分も認知症の母を受け入れられるようになってきた。受け入れざるを得なくなった、と言った方がよいかもしれない。
ここ一か月くらいから、母に接するときに、笑顔を見せられるようになってきた。笑顔で接すると、自然とていねいで優しい言葉かけが、できるようになる。
すると、母が落ち着いてきた。分からないことや、できないことは、少しづつ増えていくけれど、気持ちはとても安定している。家庭でも、施設でも、穏やかに過ごすことができている。
もっと早く、こんなふうに接していたら、母の気持ちも、もっと優しいままでいたのではないか。今さら悔やんでも仕方がない。
特養の入所希望申請を市に提出した。入所の順番は、いつ回ってくるのか、分からない。けれど、この家で過ごすことができるのも後わずかだと思うと、1日1日を大切にしなければならないと思う。
自分が優しくなれたら、母も優しくなる。当たり前のことが、なかなか分からなかった。