自分の「宿題」を見つけて、灯をともすために
”Do your homework!” 自分自身の「宿題」をやろう。
この言葉は、瀧本哲史『武器としての交渉思考』の第6章(6時限目)のテーマであり、その後の書籍でも、講演でも、またTwitterでも繰り返し述べられた。そして今なお、私の心に残り続けていることばでもある。とくに、コロナ危機があれよあれよと進展し、現在居住しているドイツのマインツにひとり取り残された2020年3月は、常に、この言葉が頭と心のそばにあった。
では、あなたの「宿題」は何?
講義録という名の「新作」は「宿題」の答え合わせ
瀧本先輩の言葉を過去形で表現しなければならないこと、そして、二度と現在形で述べることができないということを、彼の訃報を聞いてもなお、どこか、信じることができずにいた。中国から日本へ、そして欧州や米国へと、この脅威が広がっていく中で、一番意見を聞いてみたい人も、瀧本さんだった。もういないのだ、とわかっていても。
社会的距離戦略のもと、自宅に閉じこもった4月。あのとき、あの場にいた10代・20代の若者たちに届けられたのは、まさかの「新作情報」だった。しかし、その新作の中身は、もう私たちは知っている。8年前の約束であり、「宿題」の(中間)成果報告の督促でもあるからだ。いうならば、タイムカプセルである。
本書のタイトルでもあり、この記事を執筆している今日の日付でもある2020年6月30日は、講演のちょうど8年後である。この先8年間に何をするのかを、ちゃんと報告しあう会をしよう。このことからもわかる通り、この講演会は、いわば、秘密結社の会合だった。この場に来た人が共有し、互いがそのメンバーであることを自覚して、活動していくゲリラ戦。
そんな性質の講演だったから、この本を手に取って、ああ、瀧本さんは本当に死んでしまったんだと心の底から実感することになった。これは、どう考えても、「生前」に公開されるタイプの文章じゃないよ。しかも、私が参加したことは、第6章(第6激)扉写真をみれば明らかである(なんでこっち見てるんだろう)。
この記事は、本書を企画し、そして、今日というこの日に、ヴァーチャルな形で、その約束を果たそうとする編集者たちの呼びかけに応じる形でnoteで執筆することにしたものである。
さて、「宿題」の答え合わせーいや、答えはそれぞれなんだから、私の「宿題」は何であって、どう考えてきたのかの報告ーをはじめよう。性質上、書評では全くなく、むしろ、自分からみた瀧本さんの思い出の分量が多いけれども、その点はご容赦いただきたい。
そもそも「宿題」とは
この記事では瀧本さんの本や講演に直接接してもらいたいから、引用は最小限にしようと思うのだけども、「宿題」とは何かだけは、説明が必要だろう。
要約すれば、「自立した(それぞれがリスクをとる)人間同士であることを前提にして、それぞれの持ち場で、ちょっとでも社会を変えるためにできることをやる」ということになる。
この講演会は、当時10代・20代の若者であることが唯一の参加要件だったから、つまりは、18歳が26歳になるまでの間とか、28歳10か月が36歳10か月になるまでの間に、なにをするのかということが求められたということである。…こうして考えてみると、私、ひょっとすると最年長参加者だったのかも。
この講演会以外の著作でも、瀧本さんは繰り返し、人生の戦略を練ることを勧めてきた。人に投資し、自分に投資し、社会を変える。そうしなければ、2020年の日本は、逃げ出したくなるような未来になるかもしれない。しかし、自分の頭で考えて、仲間を募り、それぞれが自分の持ち場でできることをやれば、パラダイムシフトが起こせるかもしれない。今、その転換点にあるんだ。そんなメッセージを、講演会参加者は受け取った。そう、この講演会には危機感があり、そして、「それぞれ」が課題を見つけるということが、最初の出発点だった。
「持ち場」はどこか、テーマは何か
ここまで煽られれば、いやがおうにも考える。自分の「持ち場」とはどこなのか。そして、テーマは何か。
2012年6月当時の私は、28歳10か月の院生だった。博士論文を提出する直前(正確には、一度できたものの質が足りなくて、2012年9月の再提出が迫っていたという状況)。
論文を書いて、ちゃんとそれが学位論文として認められるのか。認められたとして、そのあとどこに行くのか。本当に何もかも、わかっていなかった。自分が今書いている論文が、少しは未来を変えることにつながっていることはわかっていたけれども、ほんとうにそれだけで足りるのか、自分ができることはまだまだあるんじゃないかと、考えた。
立ち止まって、上を向いて考える時間をとる
”Do your homework!”という言葉は、目の前の課題に汲々としているときや、あまりに変わっていく状況に絶望して何も手につかなくなったときにこそ、真価を発揮する。
それは、自分の宿題か?
何が、いまこの持ち場でできることなのか?
2013年、学位を取得し、運よく故郷の千葉で大学教員としての職を得て、論文の公表とはじめての講義・ゼミに四苦八苦しながら、「持ち場」の変化を感じながら、この問いを考えていた。
「持ち場」は、物理的な場所のことだけではない。自分や周囲の人々の「ストーリー」の中における役割も、たぶんその言葉の中にある。自分にしかできないことで、自分がひょっとしたら得意かもしれないことで、うまく仲間の援護も受けられて、ちゃんと社会をちょっとだけでも良い方向に変えられるような、そんな「持ち場」と「テーマ」。
ややもすれば、Twitterの世界でも、現実世界でも、どうしようもない話題が転がっている。一回立ち止まって、それらから目をそらして、上を向いて考えよう。
そうして出てきたのが、のちに『カフェパウゼで法学を 対話で見つける〈学び方〉』に至ることになる、ブログの執筆だった。
ブロガーから研究者になる社会実験
ある先輩から、「ぱうぜさんは研究者がブログを書いているんじゃなくて、『ブロガーが研究者になる社会実験』ですね…しかもまだ結果が出てない」というエールをもらったことがある(この記事では瀧本さんのことも東大法学部・法学政治学研究科の「先輩」と呼んでいるし、この文脈ではこのS先生も先輩と呼ぶのが適切だろう)。
実際、自分自身が研究者の道に進むきっかけになったのは、学部4年生当時のブログがきっかけだし、そのことは、何度も記事にしていた。東大法学部に通っていたとはいえ、まさか、自分自身が博士課程に進学することになるなんて、このブログをはじめたときには考えてもいなかった。
ましてや、当時は司法改革により法科大学院ができて、それまでの修士・博士課程の枠組みや、助手(瀧本さん自身はこの旧時代の助手である)が助教に変わって運用も変化し、だれもこの先の研究者養成がどうなるかなんてわからなかった。いわば、ここで旧時代(助手・修士&博士課程)と新時代(ローから助教または博士課程)の断絶が起きていた。その断絶を埋めて、自分の頭で進路を考え、リスクをとることができたのは、ブログ記事を読んでくれてコメントを書いてくださった先輩たちのおかげだった。
ブログを通じたネットワーキング、「過程」の見せ方、そして仲間の見つけ方は、知らず知らずのうちに、2005年からの自分のもう一つの「専門」になっていた。ややもするとS先輩のエールは「お前は生粋の研究者(向け)ではないよね」という痛い批判にも聞こえるし、実際受け取った当時はそう思ってへこんでいたんだけども(しかもこの社会実験失敗しそうじゃない、いかにも)、自分の「持ち場」を考えるには、とても良いエールだった。
私の「持ち場」はここにある。法学そのものの研究だけでは、貢献できることは(能力の関係もあって)限られている。しかし、法学の捉えられ方、社会との関係、法学の生かし方なら、何かできるんじゃないか。そしてそれは、法学政治学研究科の助手であったことがあり、私の最初のゼミ教員の内田貴先生の弟子である瀧本さんにも、頻繁に相談できるテーマでもあった。
「3年に1回職場を変える変な先輩」
瀧本さんに出会ったのは、2004年から2005年にかけてのどこかで行われた内田貴ゼミOBOG会である。私が初めて履修した専門科目としての演習は、そのOBOG会を現役学生を幹事として行う慣習があった。幹事の一人として参加した私からみた瀧本さんの第一印象は、「3年に1回職場を変える変な先輩」だった。正直、エンジェル投資家という言葉は初めて聞いたし、助手をやめてマッキンゼーに行ったこともよくわからなかったし、なんかものすごく変な人がいるんだな、と思った記憶がある。
そんな先輩と、2010年ごろに始めたTwitterで、「ぱうぜ」として再会した。以来、共通の友人について話したりするために一緒にランチを食べる機会が何度かあった。博士論文や今後の展開についても話した。私からすれば、瀧本先輩は東大法研の先輩でもあり、また、アカデミズム一本のキャリアから去った先輩でもある。先輩は外から、私は(当時は博士課程院生として)中から、同じコミュニティのことを見ていたように思う。
「二重言語」の使い手
そんな先輩と話すときは、いつも以上に頭を使う。どう表現したら伝わるかわからないが、私は瀧本先輩の話し方に「二重言語」というニックネームを付けていた。普通のペースで(とはいえ、これは頭のいいひとあるあるなんだけど、しゃべるスピードはものすごく速い)話していても、その裏には別の文脈や含みがある。相槌をうったり、こっちから話題提供するタイミングで、その「隠れた文脈」についてもある程度わかっているということを示さないと、すぐ、相手は「二重に」話すことをやめてしまう…そんな、常に評価されているような空気を感じた。アカデミズムの世界でも、そのような「常に評価しているようなまなざし」を向けてくる厳しい先生はけっこういるけれども、それが一番強く感じられたのが瀧本先輩だった。
言葉を変えると、「ものすごくハイコンテクストな話し方を、書き言葉でなく、通常の話し言葉のレベルにおいてもしてしまう」のが、瀧本先輩の話し方の特徴だった。これが、編集者の手が入った書籍だと、ある程度緩和されていて、わかりやすくなっている。
(ハイコンテクストの例。このツイート、私のことをものすごく褒めてくれていて、心の支えになったんだけども、読む人が読めば「ああっ」っとなって、私の心も傷つくので、RTすらできなかったけど置いておきます。)
実は、この話し方への気づきが、私の「持ち場」や「テーマ」を考える上でも重要だった。瀧本さんのような話し方は、これから学ぼうとする者にものすごく強い圧力をかける。一つの事象を多方面の利害得失から同時に考察して複数の流れをみたり、これまでの事象から学べる「一般論」を導こうとするための仮説を置いたりするには、思考の訓練も、知識も、そして「そのようにあろうとする」ための気概も必要になる。
けれども、それこそが、私たちが抱えている問題の本質のひとつなのではないか、と考えた。最初から「二重言語」を理解できる人、話すことができる人はいない。多分、私自身も二重言語を話すことはできない。でも、なんか、受信してしまったような気がする。こういう「圧力」とか、「二重言語」の世界が存在することを示したり、そこに至る人がふえるような「翻訳」はできないかーそんなことを、瀧本さんとのランチのあとは毎回、考えていた。
「宿題」の中間報告として
前掲『カフェパウゼで法学を』は、「対話で見つける〈学び方〉」という副題を付けた。それは、一応は本書が学生との対話で生まれたということ、そして形式が対話文と平叙文とを組み合わせたものになっているということを示すものだけども、もう一つの意味のほうがより重要だ。それは、「学び方自身も各人にとって違うので、自分でみつけなければいけない」ということである。
瀧本さんはアジテーターであり、軍事顧問だ。視点を高く持ち上げるきっかけを与え、投資家目線や複眼思考の考え方を伝え、心に火をつける。しかしそれだけでは、ちょっと補助線が足りない。また、見つけた仲間とどう接していくのかについての具体例も足りないな、と考えた。
だから、自分のテーマはここにあった。自分自身がどう学んだのか、学生にどう伝えるのかをできる限り示す。そのうえで、学び方の見つけ方の一例も示す。ただ、その先は自分でやってみないとわからないから、とにかく、やってみたいと思わせるような最初の一歩をおいておく・・・そんな本が学生のときに欲しかったから、自分で作った。そして、この本がきっと、「仲間」を増やしてくれる補助魔法になる、と。
もしもあの場所で報告していたら
ここまで、「もしも今日、伊藤国際ホールで宿題の答え合わせをしていたら」という気持ちで書いてきた。実際には、瀧本さんは物理的に来れないし、私はドイツにいるし(図らずも日本を脱出したようにみえるけど、その意図ではない)、そしてそもそも伊藤国際ホール自体がコロナ危機の影響で借りられなかったのだけども。
たぶんここまで報告すれば、瀧本さん自身か、あるいはほかの参加者から、「で、これからどうするの?」という質問が来るに違いない。あくまで、「宿題の中間報告」と書いたのも、そのための伏線である。
さて、どうしよう。
自分の宿題を見つけるため、そして、「他人目線」での評価ではなく、「自分目線」で評価できるようになる助けになれば、今回この記事を書いた。でもやってみたことはこれまでと同じで、「過程を見せて、シェアして、みんなで考えるきっかけをつくる」ところまで。
ここからは、また、考えなきゃいけない。
時計の針が進んだ世界で
2020年6月。日本を脱出するどころか、世界中大混乱で、みんな、どうしていいかわからなくなっている。2012年のあのときとは、また違う危機感が今の私たちを襲っている。ある面でいえば、テレイグジスタンス関係は一気にキャズムを超えて、ビデオ会議が当たり前になった。
この3か月間、コロナ危機以降の変化と自分の研究課題との具体的な折り合いがつかなくて、結局、コロナ危機そのものをテーマとする論文しか書けなかった。ひと段落した今、また未来を創るための研究をしなければいけない。
次の中間報告がいつになるかわからないけども、いまできることは、編集者の柿内さんたちがくれた機会を使って、更なる種をまいておくことだと思う。
このあと、45分後、あの講演をできるだけ再現したYoutubeライブが行われる。Twitterのハッシュタグ #瀧本ゲリラナイト (#瀧本宿題 はnoteのほうみたいですね) で待っています。
Do our Homework.
First of all, we have to know each other and find our Homework.
あとがき
後でここに、裏話をメインブログで書いた記事のリンクを追記する予定です。