第二回 : 映像作るのマジしんどいから作り方を考える
前回で、物語っぽいものを設計してから作り出すと映像制作につまづかなくて良くなるんじゃね?という話をした。
この物語っぽいものを設計、というのは2つ意味があって、一つは文字通り時間軸に沿って何かが展開したり発展したりするような仕掛けで、これはジェネ系でも良くやってる。つまり1点のパーティクルとかから初めて、途中から数が増えるとか、面が貼られるとか、そういう展開の作り方だ。シンプルな形が複雑になっていく。
とはいえ難しいのは、これのテンションを落とすことだ。盛りに盛っていくのは割と簡単なんだけど、それを一回抜くタイミングが難しい。
もう一つの物語っぽいもの、というのは、時間ではなく空間や世界観の設定の話である。舞台や場面設定から考えて、そこに置かれたもので遊ぶ、という方法で映像のネタを掘る。もしくは展開させていく。これが出来れば、ジェネ一本で難しかった抜きができるようになると思う。使ってないものを使ったり、カメラが向いてなかった方向を向いたり、建物が壊れたり、など、抜くための根拠づけがしやすい。ジェネだとピュアに形状とモーションがあるだけなので、抜きをするためには発想をジャンプさせる必要がある。例えばたくさん増えた四角形が1か所に集まって球体になる、とか。で、この発想のジャンプをうんうん唸りながら考えるのは結構しんどいことである。まあ、やるんだけど。
というわけで、当たり前過ぎて改めて書くのもアレなんだが、この空間/世界観的な舞台設定 + 時間的に物事がどこかの「方向」へと向かうこと、という極めて普遍的な、作品づくりって空間と時間が基本だよね、という結論になる。
で、時間的な展開は空間がないとどうにもならない、というか昨今の映像制作でも良くある良い感じの置物をカメラで嘗め回す感じ、でも映像は作れるの、まず空間や世界観をどうやって作りましょうね、っていう話になる。
それで何かの参考にならないかなと思って、ゲームデザイナーのための空間設計 歴史的建造物から学ぶレベルデザインを読んでみるんだけど、おい6万もするんかと、ちょっと引いてる。アート本、デザイン本、ゲーム本の再発のかからなさは異常、っていうかアーカイブ的な意味で全部電子書籍にならないすか。
閑話休題。この本の中では、現実世界の建築は鑑賞者の気分をアゲルために作られているが、ゲームでの建築はユーザのテンションを激下げにするような作り方をしても良いと書いてある。これはCGの舞台設計でも一緒で、サビで上げてブレークで落とす、みたいな印象操作が空間設計の時点で出来ていると、いちいちモーションや展開で悩まなくて良くなるかもしれない。明るい街と暗い街を最初に作っておけば、あとはカメラスルーだけで3分くらいの映像になるかもしれない。ならないかもしれないが。
で、ここまで考えて次にやった方が良いのは、既存のCGや建築とかを眺めてどういう空間が人にどういう印象を与えるかを分析すること、空間を構成する形状やテクスチャをパーツごとにバラシてみることであろう。インプットと同時にアウトプット側からも両輪で挟んだ方が恐らく学習効率が良いので、それについても考えねばならない。
しかし、インプットは単に楽しいがアウトプットは楽しくてもしんどい。しんどい映像制作を楽にしたいだけなのに、結局しんどいんかい、とはなる。なるね。