第3回:映像作るのしんどいから作り方を考える

映像の作り方を考えている間に、映像を作る前段階で物語を設定するのが良いのではないか、という話になった。

しかし、物語なんか作ったことがないよ、という人が物語を作ると、とても恥ずかしい個人史的な体験になりがちかもしれないし、1行も書けないかもしれない。どうしよう。

物語にはテンプレート構造がいくつかあることは既知である。そのテンプレートにうまくハマったものを書き上げ、そのある一場面を切り出して映像を構成していけば良いのだ、ということをいくら知識で理解していても、何も手は動かない。空の絵コンテを前にしても何も出来ない。普段Vコンもつくんないのに。

もっとハードルを下げるために、まずは物語のアイデアになるものを作る方向に切り替えよう。最近見たアートディレクションのチュートリアルで、マインドマップで言葉を広げていって、そのあとランダムに組み合わせると良いよ、というのが書いてあった。やり方は知っていたけど実践していないことだ。それはそれとして、やり方は知っているつもりになったけど、やったことがないからいざやろうとしたら出来ないことばかりが勉強するごとに増えていく気がする。勉強したい領域の幅と難易度が高くなって、知識は増えるが実践はしていないことが増えるのだ。

で、マインドマップの話を見ながら、これを脚本術とかそういうのに繋げたら良いんだよなハードルまだ高いな、と思っているところでショートショートの書き方の本に出合う。この本の中では、最終的には売り物になりそうなショートショートが生成されていくのだが、本の大部分ではあまり気張らず設定資料くらいな内容でもショートショートと言って良いよ、という風に仰っている、と受け取ったので、設定資料くらいの適当なものを大量に生成することにした。自力で。

そういったことをとりあえず日々の日課にしてみたところ、谷口さんがプロシージャルな詩の授業を始めていた。ネットで拾った言葉をあるルールで組み合わせて詩にしてみようぜ、という内容だ。妙なシンクロニシティを感じるし、ワークの内容もハードルが結構低めな気がするので30分くらいやってみようと思う。

ここまで見てきた中で、これら自分が興味を持った作業の共通項は全てがジェネラティブかつプロシージャルなものである、ということに気づく。自分の中に何かとてつもない才能がある、というような考え方で物を作るのは結構しんどくて、何故なら大概無いからである、というのはこの一連の文章を書き始めたきっかけでもある。出来るだけ自分の外部から何かを呼び込む、外部の辺縁を拡張していく、というやり方があっているような気がしてきた。自分の役割は外部から集めた素材を、合体させて出力する機械のような役割であり、しかも面白いかどうかの判断は、機械から抜けたモードの自分にやらせようという試みである。この一連の過程は全部AIに丸投げできるような気もする。しかし僕たちはいつでもAIを立ち上げておけるわけではないので、頭の中である程度組み上げる力を持っておく必要があると思う。そのための訓練なのであろう。

それはそれとして一向に映像作るところまで辿り着きませんね。


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