映像作るのマジしんどいから作り方を考える

狭義の視覚表現で飯を食ってるわけだけど、いつもいつも何か一発目を考えることに苦労する。一発目というのは最初のピクセルであったり、コードであったり、アセットだったりする。こうやって書くと一発目が置ければ、あとは余裕で即興で流れていくものだと思いがちなんだけど、それもうまく行く時と行かない時がある。

僕は昔からストーリー性のあるVJをするね、と言われることがたまにあった。ライブにおける音楽は、ミュージシャンがリアルタイムで作っている音楽の展開とテンションの連なりで、そこにはメッセージ性や明確な物語が無くても(小説のような言葉にできるという意味での)、ある種のストーリーがあるような気がする。それに合わせて展開を作っていったら、自然とストーリーができるんじゃないかな、とか思う。その展開のためのパラメータやプリセットをできるだけ用意して映像をプログラミングし、テンパりながらリアルタイムで送出していく。

で、これはとても物質的な方法というか、言葉をあまり介在しない作り方なんだけど、例えば一枚の静止画を作る場合や数分の映像を作る場合であっても、言葉で語ることができる物語を起点に考えた方が作りやすいのではないか?という試論をなんとなく思いつく。

これが、広告のようなクライアントワークであれば、物語はクライアントの方が提供してくれるから、そんなに悩むこともないかもしれない。広告のグラフィックをあまり作ったことないから適当に言うけど。要は物語はすでにそこにあって、絵はそれに寄り添ったりエンハンスしたりすれば良いからだ。

しかし、例えば自分発信で何かをしようとしたりとか、物凄く抽象的な楽曲であったりとか、逆に歌詞が具体的過ぎてそのまま作ったら時間も予算も足らないよ、という時は、とりあえずコードを書いて何か適当に動かしてみたり、話を読み替えて抽象的にしてみたり、ということが必要になる。

ジェネでキャリアをスタートさせている自分は言葉を起点に何かをすることに弱い気がする。僕のPCから出力されてきた映像は、物語や文脈とかとは別に存在し、切り離されていて、何か面白い動きをするものであったり新しいアルゴリズムであったりと、プリミティブな動きの快感や手法の方が常に先立ってきた。これら、ある意味では純粋な動きや形や手法であったとしても、クラブのVJのような音楽の抽象度が高いジャンルであれば、音楽のテンションに合わせて動きを展開していけばストーリーのようなものが見える、というのは最初に書いたとおりだ。

ジョンホイットニーのように、視覚的な緊張と緩和だけで、音楽のような構造を作り出す作家もいるし、多分今までやってきたことはそのアプローチに近いんだと思う。それを極めたとかは言うつもりもないんだけど、まあ、要は毎回一発目が難しかったり、展開を考えるのがが難しかったり、途中で迷走したり、というような毎回手探りの作り方に疲れているのと、自分が構築したクリシェを並べていくような作り方に飽きている、という、2大ネガティブがたまに襲ってきて、何か他の方法無いかなーと探している次第。

そういえば、MutekでやったKafuka君のVJは、会場の3Dモデルの中で色々なことが起きるという内容だったけど、あれは何となくエネルギーが集まって爆発している異空間としてのクラブ、それを眺めている複数の視線、という舞台設定が頭の中にあったので作りやすかったのかもしれない。色々起きて、色々覗かれたり見られている、という設定の中で1時間転がす、という作り方は、日常系アニメっぽい作り方なんじゃないかなと言ってみる。出てくるものは全然違うんだけど。

そういえば友人が思い出ぽろぽろを見て、ヤマなしオチなしの意味不明な話が羅列され続けるが、最後にそれが時間を超えてフラットに並んで襲ってくるから高畑勲はやべえ、的なことを言っていた。大きな物語や世界観の設定に沿って素材を作り、最後にそれらを集結させて作る、というのは嗜好に近いかもしれないなと思った。そしてそれらの物語や文脈をつくることはAIにはできないので、これからさらに重要になってくると思う。

*ところで、文章の最後に、これはAIにできないことであろう、と書けば人間賛歌に、これはAIが無ければ出来ないことだろう、と書けばテクノロジー賛歌に見えて、何か色々考えてる人っぽい文章になるぞ、という気がする。



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