◯と△:ワシントンDCのミュージアム・・・その1
美術家の杉本博司氏による『空間感』という本がある。世界的に活躍する杉本氏がこれまで個展を開催してきたミュージアムについてアーティストの視点から語る、ユニークな建築論だ。
とりわけ興味深いのが巻末の「スターアーキテクト採点表」。読んで字の如く、彼が展示した美術館とその建築家が、"アーティストとして、ここに一言申し上げる"とのお触れ書きで ★〜★★★★★ まで格付けされている。居並ぶミュージアムは、どれも建築の教科書に載っているような作品ばかり。これらのすべてで個展を成功させてきた杉本氏もすごいし、彼が良いと思わないものには躊躇せず★や★★をつける率直さもすごい。
そんなリストをしげしげと眺めていると、見慣れない名前が目につく。「ハーシュホーン美術館・彫刻庭園」。このミュージアムに、杉本氏はミースの「ニュー・ナショナルギャラリー」やSANAAの「金沢21世紀美術館」と並ぶ最高評価の★★★★★を与えている。この評価は、曰く "満天に輝くような建築" だそうだ。これを読んで興味を惹かれずにはいられない。早速この建築を見に行くことにした。
ハーシュホーン美術館は、アメリカの首都・ワシントンDCにある。ホワイトハウスをはじめ、言わずと知れた政治の中心だが、膨大なコレクションの美術館・博物館を擁する文化・学術資料の集積地でもある。これらスミソニアン博物館群は、国会議事堂からワシントン・メモリアルをつなぐ広大なナショナル・モール沿いに並んでいる。数も多いので一日でまともに見て廻るのは多分無理だろう。ちなみにぜんぶ入場無料である。ハーシュホーン美術館も、このスミソニアン博物館群を構成する施設のひとつだ。
この建物を設計した人物は、ゴードン・バンシャフト。建築関係者、それも設計に携わっていなければ、今やその名を聞くことも少ないだろう。彼は、世界最大級の組織設計事務所SOM(Skidmore, Owings & Merrill)のデザインをかつて率いた建築家だ。要するにインハウス・アーキテクト、サラリーマン建築士である。世間がイメージする「建築家」とは異なるフィールドに身を置きながら、1950〜70年代のアメリカを中心に実績を残してきた。ミースによる「シーグラム・ビルディング」の斜め向かいに建つ「レヴァー・ハウス(リーヴァ・ハウス)」や、イエール大学の「ベイニッケ図書館」などは有名だ。余談だが、(色々あって2018年現在謹慎中の)リチャード・マイヤー氏は、大学卒業後この図書館の設計スタッフをしていたらしい。
バンシャフトは、1988年にプリツカー賞も受賞している。組織系事務所のインハウス・アーキテクトとしてこの賞を手にしたのは、今のところ彼だけだ。
さて、本題のハーシュホーン美術館である。この建築のユニークさは、航空写真で見ると一目瞭然、プランが丸、というかドーナツ型なのである。色々な意味でおカタいDCの建築群の中で、明らかに浮いている。
しかもこのドーナツ、外側はほとんどコンクリートで閉じていて、一筋の水平窓が設けられているだけである。はっきり言って給水塔か何かの施設みたいで、とてもじゃないが美術館には見えない。あの繊細でクリアな印象のレヴァー・ハウスと同じ人間が手がけたのか。驚くべき振れ幅である。
ドーナツの内側に入ってみる。こちら側は開口が並んでいて、先程とは異なる印象が飛び込んでくる。外観の閉じられた感覚が一転して、円環に包まれた瞬間、その幾何学の強さが全身に迫ってくるのだ。実に俗っぽい例えだけれど、UFOが自分の真上に降りてきたみたいだ。
円環という図形は、「安定感」や「求心性」を演出するときに使われることが多いけれど、ここはそれとも異なる「どこか割り切れない」感じが漂っているのも印象的。なぜだろう、と思って辺りを見てみると、色々なところが微妙にズラしてあるのが理由だと分かる。例えば開口と柱のモジュールが合っていなかったり、噴水が円の中心を外して配置してあったり。石の舗装もこの「ズレた」噴水に向かって割り付けてある。こうすることで、安定感や求心性が撹乱されて、ドーナツが今にも回転を始めそうな、円の動的な側面が引き出されているように感じた。現に、立ち止まってきれいに写真を撮ろうとしても、目移りしてしまってうまく中心を捉えられないのだ。あとでカメラを確認したら、見事なくらい微妙にズレた写真ばかりだった。
建物に近づくと、コンクリートの質感も見えてくる。いかにも素っ気無いように思えたこの材質も、骨材にピンク色の花崗岩を使った上に洗い出し仕上げが施され、入念に工夫されていたことが分かる。
内部は、地下と2階・3階がギャラリーである。(4階ももしかしたら展示室なのかもしれないが、行ったときは閉まっていた)。ドーナツが外側・内側にさらに分割されて、各階二重ループの展示室構成になっている。部屋は基本的にひと続きで、無限にぐるぐると回り続けることができる。訪ねたときの企画展の一つは、曲面を活かして360°の壁画のように仕立てられていた。唯一残念な点は、開口がロールスクリーンと紫外線防止フィルムで閉じられていたこと。全開になったらさぞ壮観なのだろうと思う。
円の外側のギャラリーは、コレクションを中心とした展示。アールを描く壁にも、違和感なく絵画が掛けられている。むしろ、コーナーが減って建築の印象が和らぐことで、よりアートが映えているようにすら見えたのは発見だった。良い意味で建築的な細工をあまりしていないのも寄与しているのだろう。時々内外のループがクロスオーバーして、両方の展示室の様子が見える瞬間があるのも、四角い箱にはない面白さだ。
そういえば、円形のミュージアムといえばF・L・ライトのグッゲンハイム美術館を忘れてはならないが、あちらは建築の個性が全面に出た螺旋の吹抜けのみならず、かなり建築的ディテールを強く感じる空間で、随分印象が違うんだな、と思った。良し悪しは別として。
アートを巡っていると突如現れる展望スペースからは、ナショナル・モールが一望できる。ここが外から見えた一筋の水平窓だ。
各フロアをぐるぐると平均2〜3週・右回り / 左回りなんかも試したりしながら展示を見終え、1階に降りる。ロビー空間には、この建築を★★★★★と称えた杉本氏デザインのカフェがインストールされていた。巨木を割った大きなテーブルが鎮座する。そのガラス天板には、そのうち回転して飛んでいきそうな、宙に浮かぶ円環が映っていた。
(その2・・・△のミュージアムにつづく)