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村生ミオとは何者なのか。最終章

90年代の終盤、1998年2月に僕は東京に移住してきた。ムーブメントとしての渋谷系はとっくに終わっていたが、まだ余熱が濃厚に残っていた時期である。誰もがまだこの(カルチャーとしての側面として)幸せな時代は続くものだと思っていた。

宇田川町の沢山のレコード店。大量の在庫が売り物だった渋谷ブックファースト。ZESTやマキシマムジョイといったレコード店はまだ健在だったし、歩き疲れれば東急ハンズ前のドトール下にある漫画喫茶に行くのが個人的にはお気に入りだった。

その店で僕は久しぶりに村生作品と出会う。おそらく帰宅が面倒で深夜営業の漫画喫茶に腰を落ち着けたかった。家まで歩いていける距離ゆえの気楽さもあったので、そんなことはしょっちゅうだった。渋谷東急ハンズ前の漫画喫茶。2000年代前半までは営業していたこの店はその後も幾度となく利用した。LOFTの近くにも漫画喫茶はあったが、在庫量でハンズ前が圧倒的だった。

そこで出会ったのが「サークルゲーム」だ。導入部はいわゆる定型村生パターン。絵もまだラブコメ時を引き継いでいる。だが、物語は進むにつれ、どんどん進化していく。デヴィッド・フィンチャー監督か?と思うほど、読み手の琴線をえぐる展開。エロスとサスペンスが交錯する独自の世界を村生は「サークルゲーム」で見事構築したのだ。

この作品の第一部は主人公が一時付き合った女の子の嫉妬と思い込みから始まるストーカー的ストーリー。そして話はそれだけで終わらない。二部はさらにエスカレートし、精神的にぶっ壊れた女の子に振り回される主人公、といった具合で、村生の真骨頂とも言える「見開き」はこの時期に定番化したのではないかと思う。のちに描かれる「BLOOD RAIN」、「SとM」、「終の棲家」・・といった作品群はすべて「サークルゲーム」から始まっているのだ。

この作品を漫画喫茶で手に取ったとき期待はしていなかった。「サークルゲーム」は知っていたが、自分が愛読していた「結婚ゲーム」や「もしかしてKOIBITO」等の作品群が終盤にいくにつれ、時代とピントが合わないまま、読み手に不満を残したまま中途半端に終わっていく様を知っていたからだ。ならば「モノクロームレター」のようにすっぱり終わってしまうほうがよい(何度も書くが「モノクロームレター」は村生の青年誌初連載作品であり、淡々と描かれる主人公の憂鬱、鬱屈がとにかく最高)。

「サークルゲーム」は村生のロングラン連載となり、この作品を描くことで、村生は2000〜2010年代を見事サヴァイヴしたのだ。

一方、あだち充は「H2」を再び大ヒットさせ、「クロスゲーム」を経て、明晴学園を舞台に「MIX」を連載、野球を題材に青春群像劇を独自のタッチで描き続けている。

あだち充と村生ミオ。80年代ラブコメブームを牽引した2人の巨匠はそれぞれのやり方で見事に生き残ったのだ。どちらも正解。マンガは面白くなくっちゃ。

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鈴木ダイスケ
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