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中森明夫「キャッシー」が切り開く、新しいアイドル文学の可能性。


つい昨日のことだ。場所は某繁華街の某有名大型書店。そこの受付問い合わせカウンターで聞き逃せないやりとりがボクの耳にチェックインしてきたので忘れないうちに記しておく。

よく競馬場とかにいそうな、ぱっと見「予想屋」か、もしくは朝方の釣具店にでもいそうな風貌の男が不釣り合いなその大型書店のインフォメーション受付で在庫の問い合わせをしていた。

「ねえ」
「はい。なんでしょうか」
「今日発売なんだけどさ、いっくら店内探してもねえんだよ。金なら払うよ。だから今すぐなんとかしてほしいんだ。実話だよ!俺、毎週楽しみにしてんだからさあ。頼むよォ、わかりやすいとこに置いといてよ。みんな読むよね?」
「じ、実話?ですか?あの、お客様、ちなみにお探しの本、実話だけだとわかりかねるんですけども、、」
「だからさあ、今日発売の「週刊実話」」
「しゅ、週刊実話でございますね」
「そ。今日発売なんだよ。今すぐ読みたいんだよ!」

結論からいうとその大型書店で週刊実話の取り扱いはない、とのことでその男はとても悔しそうにその本屋をあとにしていった。
いつもはコンビニで買ってるんだろうなァ。
でもどう考えてもその本屋で週刊実話の取り扱いがない、というのはわかる。
イメージできないもの。

とはいえボクの場合、この男のことはまったく笑えない。
なぜならボクがいそいそと本屋に買いにいく本ほど(発売日なのに)店頭にない、とかもともとの納品数が少なくて売り切れてしまったとか。さらには「うちはね、最初から注文してないし今後も置くつもりはないよ」と最初から断言されてしまうか。あるあるなのだ。

たとえば辰巳ヨシヒロの「劇画暮らし」を買いに行き、渋谷の某本屋で「だからさあ、うちは置かないし置けないよ。丸善さんでもどうかなァ」とばっさり切り捨てられた。ちなみにその本屋はもうない。お取り寄せする気もないってすごいなァと思ったことは覚えている。本の雑誌社から出版されたやつだから、もう10年ぐらい前のことだ。結局ボクは出張先の京都であっさり手に入れたんだっけ。

ボクが早売り好きなのも、在庫少な商品を品切れ前に(確実に)手に入れたいって思いが強いからフラゲ狙いになってるのかも。もちろん待ちきれなくてさっさと読みたいって気持ちもあるんだけど。近田春夫の自伝は2日前フラゲだった。おそらく店頭並べた瞬間に新宿紀伊国屋にて。

同じようにフラゲしたのが中森明夫氏の「キャッシー」だ。いわゆるアイドル小説であり、今の時代にしか描けない文学。上梓されるニュースを聞いて以来、早く読みたかった。小林信彦の「極東セレナーデ」と並ぶ、アイドル小説(文学)の傑作だと思った。加藤シゲアキの「閃光スクランブル」、高山一実「トラペジウム」、あとボクが読んだのは真下みことの「♯柚莉愛とかくれんぼ」か。朝井リョウ氏の「武道館」に関しては、執筆される前、取材を受けたことがある。ボクが当時アイドルマネージャーをしていたこともあり。

そういう舞台裏を少なからず経験したがゆえに、ボクはアイドル小説ならばオールオッケーってことにはならない。むしろ評価は辛くなる。10代の楽しことだらけの年齢の女の子たちがなにゆえアイドルを目指すのか。単なる肥大化した承認欲求?(そういう子もいるでしょうね)、このへんをズレた視点で描かれちゃうと、ボクは読む気が失せる。たとえば中森明夫氏の「キャッシー」前に上梓された傑作連編「青い秋」はライター、評論家として経験した(おそらく私小説的な)視点だからこそ描かれる。「よい子の歌謡曲」の梶本さんらしき人物がちらり出てきてるような・・気のせいかなとも思いつつ。小林信彦氏の「極東セレナーデ」も放送作家、雑誌編集者として裏側に少しでも関わったからこそのリアリティがあの小説を不滅の傑作たらしめてるわけで。単に「運営」とアイドル本人との軋轢、ファンとの距離感に悩む病む、、みたいな単純な構図だけでアイドル小説は成り立たない。だからこそ加藤シゲアキや高山一実といった現役が描くことに意味がある。

「キャッシー」に超能力ってキャラ設定を加えたのは素晴らしい。ボクは勝手に「きまぐれオレンジロード」を思い出した。ラブコメで連載をとるべく苦肉の策で作られた主人公、春日恭介一家の超能力。でもあの設定がなければオレンジロードは凡庸なラブコメとしておそらく長期連載は難しかったはず。同じように「キャッシー」も主人公の「能力」、そして劣等感をあからさまに描くことで今の時代にしか描けない、新しい青春小説として完成したんだと思う。

アイドル小説って、成功、として挫折を描きやすいジャンルだとは思う。だけど描きやすいってことは共感を得難い。あまりにも凡庸な物語になってしまいがちだからだ。

たとえば「芸人失格」の松野大介がかつて描いたアイドル小説「アイドル冴木洋子の生涯」。ボクはこの小説、嫌いじゃない。おそらく中森明菜、宮沢りえとかあの辺がヒントになってるはず。テレビ業界の舞台裏も皮肉交じりに描かれており、完成度も高い作品だと思ってる。だけど文庫化すらされず電子書籍でも読めないので古本屋で探すしかない。つまり売れなかったんだと思う。この作品の後に「恋愛失格」なる最高傑作も発売されたがこちらも今や同様の扱い。ちなみにボクは松野さんの小説、「芸人失格」、「冴木洋子」、「恋愛失格」の幻冬舎3部作は必読の書だと思ってます。古本見つけたら即サルベージをおすすめ。てゆうか、ABブラザーズもアイドル的芸人だったわけだし、松野氏のこの3作もある意味アイドル小説なのかも。挫折と復活、そしてさらに襲い来る挫折。仕事にも恋愛にも挫折、さらに女性不信も加わってのヘヴィネス。同じ角度で女性アイドルがこの手の作品描いたら、とんでもない傑作が生まれる予感がありますけどね。てゆうか松野さん、「人生失格」て小説描く発言はアレどうなったんでしょうか。ボクはずーっと待っています。


恋愛禁止ルール、スタッフとの軋轢、SNSでのファン交流、ガチ恋、ピンチケ野郎との握手交流、DMからのファンのかわし方などなど、現役アイドルはかつてのアイドルよりも病みやすい要素はたくさんある。ただでさえ、普通に過ごしていてもスルー力強めじゃないと生きづらい世の中だってのに。そう考えると今の時代、アイドルであることを選ぶ、もしくは目指そうとすることってかなり凄いことだと思うんですよね。そして少女たちは何故にアイドルであろうとするのか。中森明夫氏の「キャッシー」にはそんなヒントが描かれていると思います。ボクの中では今年(現時点)読んだ小説の中で一番美しい物語だと感じました。表紙を飾る、のんによるイラストも見事。

壊れそうなものばかり集めてしまうよ、と光GENJIなるアイドルグループが遠い昔に歌っていましたがここまで10代のアイドルの心情をあらわした言葉をボクは他に知らない。ゆえに美しいし、儚い。「キャッシー」にはその儚さがよく似合う。いつまでも続くことのない物語。だからこそ、ひとはアイドルを崇めるんだとボクは思う。

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鈴木ダイスケ
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