1992年の裕木奈江(最強伝説⑤)〜裕木奈江とはボクにとって蕎麦屋である。
ボクは蕎麦が大好きである。
饂飩か蕎麦かと言われれば圧倒的に蕎麦。饂飩は嫌いじゃない。博多のうどんはマストで摂取するけど選べと言われりゃ蕎麦なんですよ。老舗も好きだし町のなんでもない蕎麦屋も最高だし立ち食い蕎麦も大歓迎。富士そばなら紅生姜天そば一択だし小諸そばならいか天そば。吉そばならシンプルに冷やしたぬきそばを柳沢きみおライクにシャバシャバ音をたてながらキメたいし、かめやの天玉そばは新橋店を選びたい、、とまあそんなこだわりがある。
そんなわけでボクにとって裕木奈江という女優の存在は蕎麦屋だ。しかも変幻自在の。
時に立ち食い蕎麦屋のようにコンビニエンスかつ迅速的確な演技を見せ、老舗の蕎麦屋の伝統芸能な立ち振る舞いをワールドワイドに展開する変幻自在かつ日本人好みの「出汁」が効いてる女優でありシンガー。
初の主演映画「曖・昧・Me」やドラマ「北の国から」で見せる老舗でも神田のやぶのようなちょいと格式高めなアプローチも可能だし、映画「あさってDANCE」(原作/山本直樹)、「学校」などで見せた、まつやの天盛りのごとくパワフルかつパンチの効いた演技が可能、ってなかなかコレはすごいことだと思いませんかね。
アイドルという存在。これはボクの場合、蕎麦屋ではなくラーメン屋で語ることが多い。たとえば全盛期、2010年代初頭のAKBはボクの中では一風堂だった。赤丸、白丸、もしくはぴりりと辛味が効いたもやしを思うがままにトッピングし必要ならば替え玉可能なユーザー目線。そこに対するももいろクローバーZの場合はネタてんこ盛りなラーメン二郎スタイル。コンテンツの中毒性が売りのAKBとは対極的な存在。
煮干しという「和」テイストをこれでもかとアピールした凪はまだ夢眠ねむ在籍していた頃のでんぱ組.incな気もするし、と日々そんなことばかり考えてる、なぐさめてしまわずに。
じゃあ乃木坂を始めとする「坂」シリーズはどうなん?と言われるとそうだなァ、、、蕎麦じゃないよね。
蒙古タンメン中本?いや違うな。個室カウンター形式で食べる一蘭とか近い気がしますけどね。
ラーメンとアイドル。あくまで考え方の親和性って意味ですけど、70年代末期〜80年代のアイドルって町のラーメン屋の存在と近い気がするのです。疑似恋愛とグルタミン酸欲しさで訪れる動機ってほぼ同じじゃんっていう乱暴な理屈なんですけどね。憧れのあの子にモテたくて洋服を買ったり髪を切ったりするのとラーメン屋でチャーシュートッピング、麺大盛りをオーダーするのは同じだもの。違うか(笑)とあえて語尾で小林信彦「怪物がめざめる夜」へオマージュを捧げてみる。文句があるか、ですよ。
とにかくボクにとっては頑固な蕎麦屋。それが裕木奈江だ。
たとえば歌手、裕木奈江。アルバム「旬」で表現されているのは空気感そのもの。
無理くり例えるのであれば蕎麦通が池波正太郎の如く、日本酒や七味を蕎麦自体にふりかけ
「こうしねえと蕎麦自体の風味が味わえねえ」と言わんばかりのシンプルさ。
鴨南蛮や天盛りすら、余計なトッピングとして思われかねない、ただ楽曲の旨味のみで勝負しているアルバムだが、実にいいんですよね。村下孝蔵による「りんごでも一緒に」、伊勢正三のペンによる「転校」、山崎ハコの「虹色の世界地図」など佳曲も多い。ちょうど海外でもてはやされている日本初のシティ・ポップな音楽性とは違うけどもこれもまた和製ポップスの旨味をじゅうぶん味わえる。そしてそれはシンガー裕木奈江の表現力があってこそなんですよね。
蕎麦屋だなんだと冒頭で見当違いも甚だしいテキストを書いてる気になってきたが、、ボクは彼女、つまり裕木奈江が最初から規定サイズの常識にハマってなかったと思っている。
あ、これはもちろんいい意味で。その風貌、年齢からアイドル的な扱いになろうとも
グラビアだろうとバラエティ番組だろうと本人にしかコントロール出来ない「裕木奈江」時間が流れていた。多くのファンはその独特の時空に飲み込まれ、様々なクリエイターはそこに創作意欲をかきたてらてた。今も続く「裕木奈江」最強伝説はそうして作られたんだとボクは思っている。
たとえば「ウーマンドリーム」だ。
このドラマ、原作もふくめて彼女のために存在するとしか思えない出来なんですよね。
原作は小林信彦の「極東セレナーデ」でだが、主人公の朝倉利奈は小説を読めばわかるが
まんまである。裕木奈江以外に考えられないキャラ設定。まだ裕木が世に出ていないタイミングで描かれた小説だというのに。肝心のドラマは当時はまあまあ、、と思いながら観ていたが一挙再放送になった際に録画でまとめ見したら、これはこれでナイスだなと思った。芳本美代子や林家こぶ平のキャスティングが当時はどうもしっくりこなかったのが時を経てみるとコレはコレでよしと思ってしまったんだな。なによりも裕木奈江が素晴らしい。小林信彦理論の「映画は女優」を地でいくナイスキャスティング。まあこれを観ていたボクはボンクラ大学生で、その何年か後にこのドラマの劇伴担当の会社に就職するなど当時は夢にも思わなかったんですけどね。
とにかく朝倉利奈と裕木奈江の一体ぶりは「裕木奈江のオールナイトニッポン」、「泣いてないってば」「拗ねてごめん」などのシングル曲、ヤンジャンのグラビア、JRAや任天堂、ヤマト運輸のCMなどで嫌というほど確認させられた。
時代的にも80年代までのいわゆる典型的なアイドルプロモーションを「あえて」やる大人の遊び心も感じられ、壮大なアイドルごっこに僕らは確信犯として付き合っていった。そのポータルサイト的な立ち位置にあったのが「ウーマンドリーム」でありヤンジャンのレギュラーグラビアでありオールナイトニッポンだったのではなかったのか。もちろんそれらをちゃんとそれぞれ有効に実行できる優秀なスタッフ、さらにちゃんと己の立ち位置を理解して行動できる裕木奈江という稀有な存在があってこそ成立するんだが。
「ウーマンドリーム」以降の彼女の活躍はもちろん追いかけている。「ポケベルが鳴らなくて」は毎週観ていた。いわゆるバッシング騒動も巻き起こったこのドラマだが、ネットもまだなかったあの時代。唐突にそんな風潮が雑誌メディアを中心に起こった記憶がある。正直ボクはどうでもよかった。なぜなら(ここは気をつけなければいけない)「ポケベルが鳴らなくて」を最後に彼女が消えたわけではなかったから。
たとえばこのドラマのあとに出演しているのが「陽のあたる場所」でCXドラマ木曜22時枠。主演は中村雅俊。エリートサラリーマンがいろいろあって服役、出所後、的場浩司が店長をつとめる焼き鳥屋(だったと記憶している)で皿洗いから再出発。その店に北海道から上京してきた女の子役で出演している。主題歌は江口洋介の「愛は愛で」。絶頂期の柳沢きみお作品にも通じるちょいと泥臭い青春ドラマはいい出来だったと記憶している。
その後も「くろしおの恋人たち」(NHK)、関テレ枠で「領収書物語」、久本雅美が主演した「うちの母ですが、、」(テレビ朝日)といいポジションで出演は続いているし、1995年頃から映画、舞台/ミュージカルも多くなりCMでの露出も変わらずだった認識でしかなく、徐々に作品重視な動きにシフトしていったって風にしか思えなかったんですよね。
「ポケベル〜」にしても、ボクが思ったのはどうして「この空が味方なら」が主題歌扱いじゃなかったんだろうかと。なぜなにWhy?と思いながらシングルCDを発売日に購入した。
結果論から言うと、ボクはそこから彼女の音楽活動に関してコンプリートすることになった。筒美京平によるアイドル歌謡レトロスペクティブな作りも好きだし、松本隆、細野晴臣、鈴木茂らを加えてのはっぴいえんど史観の世界、村下孝蔵、山崎ハコらによるフォーク/ニューミュージックな楽曲たち。J-POPバブル華やかりし時代の中では目立つものではなかったけど、時代的にも90年代初頭は和物歌謡やはっぴいえんど史観が見直され始めた時期でもあったので決してズレたものはではなかった。願わくば当時のライブを一度でいいから観ていたかった。大阪勤務で出張コース(四国/中国地方)な日々だったのでまったくタイミングが合わなかったのだ。これはほんとに悔やまれる。今、YouTubeに当時のライブ映像が転がってるのを時折見るけど生で体感したかったなァ。
さっき書いたことと重複しますが90年代後半あたりからおそらくマイペースな活動にシフトしていったんだろうが、情報を得やすいネットは便利でしたね。いわゆる大会社のどかーんという大興行な作品ではなかったけど、味わい深い作品に裕木は出演するようになっていく。新井素子原作の傑作、映画「おしまいの日」の静かな狂気を孕んだ演技はさすがだと思った。そして連合赤軍もの「光の雨」。ハマり役だなと思ったしボクはこの作品、劇場で2回観ている。渋谷の道玄坂あたりの小さな映画館。あらためて裕木奈江という女優の憑依ぶりに圧倒された。立松和平の原作は映画のあとで読んだんですけどね。
そして「ピカレスク人間失格」、「セイジ-陸の魚-」も劇場まで足を運んだっけ。
「硫黄島からの手紙」も渋谷の映画館で観た。クリント・イーストウッド監督の映画はこれが初体験。
「インランドエンパイア」、「White on Rice」は劇場体験かなわずだったけども。
なので久々の地上波「FINAL CUT」をスルーするわけにもいかず完走させていただいた。関西テレビ制作枠での出演は「ウーマンドリーム」以来なのは報道される前からチェック済だった。いい意味で存在感がある演技は変わらず、いや、むしろ地上波枠ではハマらないその演技は世界レベルなんだよなと納得した。あ、もちろん「ツインピークス」も観ましたね、当たり前ですけど。
今やSNSで継続的に「いま」を発信していくことは当たり前だし、裕木奈江のTwitterやnoteをチェックするかぎり、海の向こうで彼女らしいマイペースな生活ぶりを確認できる。
何年か前に彼女が久々に音楽活動をしたブルースアレイでのライブは都合がつかなかったけれども、小編成で独特の世界観を自ら表現できるシンガーはそうそういないのでぜひまた演って欲しい。願わくばドラムに松本隆、ベースは細野晴臣、ギターに鈴木茂のはっぴいえんどな編成で。もしくはピチカート・ファイヴの「カップルズ」もしくは「オードリーヘップバーン・コンプレックス」。このあたりの楽曲、ハマると思うんですけどね。
繰り返すけど、やっぱりボクとって裕木奈江は蕎麦屋である。
消えることのない、ジャパニーズ・スタンダード。なのでボクはこう思っている。
今の彼女の年齢、感覚で描く「曖・昧・Me」を観てみたい。彼女が作り出す独自の空気感で描かれた、ひとりの女優の話(映画)を。待ってるひと、多いと思うんですけどね。
これからも、つるりと喉越しのよい彼女の演技に期待したい。