柳沢きみおが描いた未来
引き続き柳沢きみおについて語っていく。
2000年代に突入し、「只野仁」シリーズのヒット、ライフワークと本人も断言している「大市民」シリーズを出版社を変えながら継続、とこの二本の柱を基盤としながら多作ぶりを発揮した時期だった。
80年代から90年代初頭は「愛人」シリーズ、「瑠璃色ジェネレーション」、「妻をめとらば」といったサラリーマン・モラトリアムものを中心に「未望人」、「俺には俺の唄がある」といった佳作を次から次へと発表しながらも次のタームへと向かう作品を常に発表していた。
まず「寝物語」について。30代中盤の男たちを軸に離職、離婚、再就職、再婚、さらにフリーランスで生きていく切なさをオムニバス形式で描いていく傑作だ。登場人物たちに世相への反発を語らせる手法は他の作品でも垣間見れるが、いわゆる作者のエッセイに近い手法はこの作品で確立されたのではないか。そしてそれはのちの「大市民」へと受け継がれていく。
もう一作が「東京BJ」。ヤングサンデーに連載された「青き炎」、スピリッツの「DINO」とピカレスクロマン路線をさらに推し進め、裏社会を舞台に活躍する主人公という設定はのちのヒット作、「只野仁」シリーズにつながる。ギャグからラブコメを経て、柳沢きみおが辿り着いたのは彼がデビュー時、おそらくまったく想像もしてなかった世界観だったのだ。「温泉ボーイ」や「月とスッポン」の世界から想像などできるはずがない。
だが、柳沢の作家としての優秀性は常に次のタームへの萌芽を作中に埋め込みながら先へ先へと進んでいったということである(繰り返すようだが)。例えば「月とスッポン」はギャグというカテゴリーではあるが、設定的には「めぞん一刻」にも通じるラブコメである。これは発表誌をチャンピオンからマガジンへ移行し「翔んだカップル」へとつながっていく。そしてここで撒かれた種はフォロワーともいうべき村生ミオ、国友やすゆきらに受け継がれ、日本漫画シーンにおけるソープオペラものはここに継承されていく。
別章で語らねばならないが、柳沢や村生、国友らの作品はなかなかサブカル視点で評価されづらい。だが、彼らの作品はストーリーテラーとしての力量が問われるのだ。絵だけで完結せず、物語がそこに併走することで初めて成立する、漫画らしい漫画なのだ。惜しくも完結していない柳沢の作品に「極悪貧乏人」という名作がある。なんの取り柄もないサラリーマンが女に貢ぐことを覚え借金を重ね、あげくポイ捨て。その復讐からさらに多額の借金をし極悪ホストとして女に復讐していく・・というどうにもこうにもヘヴィネスしかない作品だ。おそらく「ウシジマくん」的な絵で描けばもっと読まれた作品かもしれない。だが、この時期の柳沢のタッチは凄味がある。嫌悪感ぎりぎりの表現で描かれるエログロナンセンス。ジャンプでデビューした作家がついにたどり着いた極北である。こんな作家は他にいない。
今後、柳沢の再評価が高まるのかどうかはわからないが、僕はもっと注目されて欲しいし、きちんと系統だてた上で読み継がれて欲しい作家だと思う。と、ここまで書いてゴマブックスから定期刊行で過去作等を含む「柳沢マガジン」なるものが発刊され始めているのに気がつく。最新作も掲載されているとのこと。これはまさに柳沢きみおという作家を知るうえで読んで欲しい。