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入江喜和を読めばわかるさ。絶望を抱き締めたあとの多福感〜傑作「おかめ日和」に寄せて。

10年ぐらい前、下北沢のCoCo壱でエレファントカシマシの宮本さんを見かけたなあと思い出す。いつも窓際の席でひとりカレーを頬張っていて、一時期ボクの中では完全に下北沢の風景そのものになっていた。アレはなんだったんだろか。急に今日起きた瞬間思い出したんですよね。なんだったんだろ。



さて。最近よく爆音で聴いてるスライ&ザ・ファミリーストーンを知ったのは村上春樹の小説だった。もちろん知ったのは名前だけ。同時期に毎日読んでた渋谷陽一の新潮文庫版の「ロック-ベストアルバムセレクション」にも載ってたなあと思ったけど買わなかった。いや買えなかった。結局手に入れたのはずいぶん後だし、ヘビロしてんのはここ最近。今はそんな気分。気分は大事。気分を出して、もう一度。ゴオイン・トウ・ア・ゴッゴ。ってそれはスモーキー・ロビンソン&ミラクルズ。


入江喜和という漫画家を知ったのはモーニングを毎週読むようになってから。当時ファミマで深夜バイトに励んでいた友人が毎週買っていた。いや、ボクの周りはモーニング読者多かったせいか自分で買わずともなんらかの形で読めた。新井英樹の「宮本から君へ」にぶちのめされ、守村大の「あいしてる」に泣いた。そういや一時期「OL進化論」の単行本をなんとなく買っていたけど、オレはどうかしてたんだろうか。

そういえばモーニングといえば「国民クイズ」好きだったなあ。作画の加藤伸吉は2000年代初頭に会ったことがある。だけどボクが当時着目してたのは原作の杉元令一ですよ。「就職戦線異状なし」(小説版は異常なぐらいオモコロ)の原作者で「君のベッドで見る夢は」(名作)、「スリープウォーカー」(名作)を残し(その後漫画原作は手がけてた)小説を発表してないヒト。その後樋口毅宏の「さらば雑司ヶ谷」に出会うまで(杉元さんの小説以外で。ただし圧倒的天才は別枠)ボクは他人の才能に嫉妬したことがない。それぐらい杉元さんの小説は好きだった。なんで書かなくなったんだろう。織田裕二と坂上忍、的場浩司が出演する映画版「就職戦線異状なし」の出来が酷かったからかな。主題歌は槇原敬之「どんなときも」。まだまだ時代はバブル真っ盛り。あの時代の人たちが今の世界状況を知ったらどんな顔をするだろう。就活での内定者拘束のため旅行連れていく時代だもんなあ。あ、ボクは貧乏学生だったし恩恵一切なかった。89年、90年のクリスマスイブは京都の高島屋に納品するマネキンを運んでた。イルミネーションが瞬く三条通りをマネキンかついでましたね。日給4000円。1日働けば餃子の王将で定食腹に詰め込んで国内盤のCDが1枚買える算段。ゴオイン・トウ・ア・ゴッゴ。

そんなバブル回顧は置いといて、本題に戻ります。入江喜和が「杯気分!肴姫」を描いてた頃はなんとなく読んでいた。続く「のんちゃんののり弁」はファミマでバイト友人が「オレ、これけっこう好きなんだよねえ」と言っていたのは覚えている。その後、しばらくして(だいぶ経つけど)「昭和の男」の連載が始まった。が、この頃になると毎週モーニングを買うこともしなくなったのでほぼリアルタイムでは追いかけていなかった。

真剣に入江喜和の作品に向かい合うきっかけは「たそがれたかこ」だ。1巻を読んで面白いと思った。45歳バツイチのたかこのちょっとした日常はみだし冒険譚。娘の拒食症、若い女と再婚した元旦那、老母との同居、かなり年下の男の子への淡い恋心などなど、ヘヴィになりそうな題材をすっと読みやすく、優しいだけじゃなくてちゃんと(読み手に)爪痕を残すような描き方がボクには心地よかった。御茶ノ水のあの学校、すっと入っていけそうなあの雰囲気もとてもよくわかるし、細やかな描写でいちいち共感してしまうんだな。劇中、若手ロックバンド“ナスティインコ”目覚めてタワレコ秋葉に行くあの感じとか。クリープハイプだよね、、おそらくって思ってたら6巻で尾崎世界観と対談してるし。自意識過剰な青春ノイローゼは中年だろうと続いていく。それでもいいじゃん。全肯定で無問題。

「たそがれたかこ」がまだ連載中の頃、何気にボクは入江さんの他作品をDIGった。ほんとに何気なくだった。そしてとんでもない傑作を知ることになった。これを知らずして漫画読みを自称していたのが恥ずかしくなった。

それが「おかめ日和」である。

おそらくタイトルで「うーん、、無理」とか思うヒトもいるかもしんない。そういう方々はそれでいい。でも読んでほしい。悪いけど傑作って言葉が陳腐に聞こえ馬鹿馬鹿しくなるぐらい傑作。大傑作。名作。これぞ柳沢きみおがいう「人間の業」の全肯定。

ボクはこの「おかめ日和」を一気に読んだ。何度再読したかわからない。どこにでもいそうな主婦と旦那、二人の息子と同居してるおじいちゃん。舞台は東京の下町で1巻だけだと単なるホームドラマコメディにしか捉えられない。だがこの作品、一見幸せな家庭の、今に辿り着くまでの過程をすべてさらけ出したのだ。そう、どんな普通なひとにもそれなりのドラマが存在する。それでも「しあわせな今」を全肯定しようっていう勇気。その前向きさは涙腺直撃必至。てゆうか、入江喜和、すげえって思ったんです。ひとがよすぎる主婦やすこさんを主人公に頑固で偏屈な旦那って設定であそこまでの長編に仕上げるとは。てゆうか、なんでこの作品を映像化しないんでしょうねえ。原作に忠実にやることで世界中に共感しそうなひとたち、いっぱいいると思いますよ。

なので「おかめ日和」がヘビロ率、一番高いんです。全巻ついーっと読んじゃうと「たそがれたかこ」を読み、連載中の「ゆりあ先生の赤い糸」を読む。時々そこに「昭和の男」、「のんちゃんののり弁」、「杯気分!肴姫」、さらにグルメものの佳作「東京BONごはん」を差し込む。読んでて「ああ、下町に引っ越そうかな」といつも思う。巣鴨とか谷中とかいいなあって思いを馳せる。喫茶店「カサブランカ」とかまだありそうな匂いがする街じゃないですか。谷中といえば15年前ぐらいに妙な古道具屋あったんですよね。70年代の万博とかあの辺のヴィンテージなグッズが売ってた店。店の名前も覚えてないけど、まだやってんのかなあ。いい感じの店だったな。


最新作「ゆりあ先生の赤い糸」は現在も連載続行中なので、どう物語が決着するのかまったくわからないけど、ゆりあ先生、どんどん可愛く描かれてるところがいい。眉も揃えたし。おそらくこのまま年下の便利屋家業の伴ちゃん、、、とも思うけど寝たきりの旦那、吾良(昔ちょっと話題になった文筆業)はどうすんの?人嫌いのおばあちゃんは?イケメンりっくん、ほんとに寝たきり旦那と寄り添うの?子連れのシングルマザー、みちるとの同居はいつまで続くの?とか気になるポイントはたくさん。次巻は来月発売予定のはず。ええ、待ちきれない。「おかめ日和」みたく徐々に明かされる衝撃の事実、ではなくのっけからドラマは飛ばしまくる。もうね、いくとこまでいっちゃって欲しい。すべての「業」の全肯定。「おかめ日和」でやすこさんがすべてを受け止めたように、ゆりあさんにも自分の欲を全部肯定しちゃって欲しい。考えるよりまず行動。そっからドラマはまた始まる。ゴオイン・トウ・ア・ゴッゴな村上春樹イズム。そう。「ダンス・ダンス・ダンス」、僕らはこの世界で踊り続けるっきゃないんだもん。

そんなわけで入江喜和にハマった話を(もちろん今もです)初カムアウト。とりあえず「たそがれたかこ」、「ゆりあ先生の赤い糸」はもちろんだけど「おかめ日和」(全17巻)も読んでほしい。いや、読むべき。やすこさん、すげえよって思うよ。旦那のつらい過去も自分のかなしい思い出も、すべてを笑い飛ばすタフネス。いつも再読するたびにボクの脳裏では小沢健二「LIFE」全曲が鳴り響く。「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」、ジャンプコミックスを子供のために揃えるべく本屋を探し回ったりネットで注文するのも大事だけど、そんな全国の主婦のみなさんは全員必読。もちろん旦那衆もな。人間ってこうだよな、断じてアリ!って勇気出てきますよ。

多福感って絶望と表裏一体だと思うんですよね。幸せの裏側には必ず絶望がある。毒も薬も全部飲み込んでこその多福。入江喜和って漫画家はそこをちゃんとふまえた上でホームドラマに挑んでる。ボクの勝手な主観ですけどその覚悟がたまらなくロックだなぁって思うわけです。入江喜和、サイコー。もっともっと振り切ってどしどし描いて欲しい。ゴオイン・トウ・ア・ゴッゴだ。誰が何と言おうとボクは漫画家、入江喜和を絶対支持。やわな自己憐憫型の、女性向けってジャンルに甘え切った漫画に数百円を払うなら入江喜和を読むべき。そして願わくばモーニング編集部は月いち連載、いや不定期でもいいから誌面に入江喜和の作品を復帰させるべき。島耕作もコロナに感染しちゃった今、「クッキングパパ」うえやまとちセンセと並んでモーニングの顔役として君臨するのは入江センセしかいないよ。って熱が空回りしてワケわかんない文章になってしまった。だけど多くのひとたちに言っておきたい。入江センセのマンガ、読んでないのは人生の半分損してるよ!ってね。


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