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カラオケに行こう / 『じゃないほう』カラオケ

一つ。喧騒、というほどでなくとも、一日じゅう自分の周りにだれか人がいると、その気配だけでもうっとうしいものだ。周囲から感じるひとの気配に耐えられなくなったとき、私は薄暗い部屋に引きこもりたくなる。
一つ。たとい周囲からひとの気配を消しても、まだうっとうしいものが残っていることがある。それは自分自身の心の声だ。暗闇の中でも絶えず聞こえてくるモノローグにさえ耐えられなくなったとき、私は頭の中に大音量で音楽を流したくなる。

以上二つの願望が、いつのまにか私の頭の中にひとつの部屋を作り出した。それは空想上のカラオケボックスであり、扉の鍵はいつでも私が持っている。
私は他人と自分の“声”に耐えられなくなったとき、頭のなかでそのカラオケボックスの扉を開ける。入ると、自分でも他人でもない誰かが数人、なぜか私の到着を待っている。私は「ごめんごめん、遅れちまった」とかなんとか言いながら、好きでも嫌いでもない歌をデンモクに入力するのだ。

これは――喧騒にも沈黙にも耐えられなかった私がカラオケボックスに入るのは――まるで自由に耐えかねた男が鉄塔に住み始めるようなもので、ありふれた話だ。あなたは、すでにあなたなりに私のカラオケボックスに相当する何かを持っているだろう。もし私のやり方が好みなら、真似してもらっても構わない。



脳内カラオケは、そこまで好きでも嫌いでもない歌を歌うのが好ましい。なぜなら、好きなものとか嫌いなものには自分自身が色濃く表れてしまうからだ。
そこまで好きでも嫌いでもない歌を歌うための方法として、歌う曲に適度なしばりを設けるというのはいい。きつすぎず、ゆるすぎない、“ちょうどいい”しばりを見つけ出し、適用することができれば、脳内カラオケはヘンに盛り上がることも沈むこともなく、ただただ「なんか違うんだよな……」という思いとともに粛々と進んでいく。
私はこの“ちょうどいい”しばりを脳内カラオケ用にすでにいくつか開発している。なかでも鉄板なのは、「じゃないほうの曲」ばかりを集めた「じゃないほうしばり」というやつだ。以下は「じゃないほうしばり」に入っている曲を9つだけ紹介してみる。だいたいアニソン・特ソンだ、私はそこら辺の曲しか知らないので。
あなたにとっては全然「じゃないほう」じゃない曲かもしれない、そこらへんのさじ加減はわたしにはわからないが(おそらく誰にもわからない)、文句があったら気軽にコメントでもしてくれればいい。

1.Go Tight! / AKINO from bless4

まずは「じゃないほう縛り」の定番中の定番、「Go Tight!」で場を一気に違和感で包もう。
「じゃあまずアクエリオン歌っちゃいまーすwwアニメ観てないけどwww」とか言っておけば周りのやつらはだいたい「あー『1万年と2000年前から』ね」と思うだろうし、そこから繰り出される「何この曲?」のパンチは、なんというか、非常に“ちょうどいい”。
アクエリオン自体が、「存在は知ってるけど俺は観たことない」層が非常に厚いアニメであり、いきなりアクエリオンのなんか知らない曲とかを歌われてしまうと、ライトなオタクのなかには〈この曲を知らないのは俺だけか〉と勝手に思い詰めて、さも知った曲かのようにリズムを取り出すやつもいるだろう。愉快。

この曲は、『創聖のアクエリオン』の後期OPである。あの
〽1万年と2000年前から愛してる
で知られる前期OPがゼロ年代最もヒットしたアニソンであるのに比べれば、後期OPである「Go Tight!」の知名度は、まあなんというか、普通だ。
誤解をうけたくないのだが、私はこの曲がイマイチであると指摘しようとかこの曲の知名度の小ささをイジろうとしているわけではない。確かに私はアニメ『創聖のアクエリオン』の内容を全く知らないくせに外野からこの曲をこんな記事で取り上げてはいる。しかしそれは私がこの曲を軽く見ているからでは全くなく、むしろ私はこの後期OPのほうが前期OPよりずっと好きだし個人的思い入れもある。ド派手で、早くて、アガるからだ。私には音楽的素養が皆無なのでこの曲の良し悪しについてはわからないが、この曲の好き嫌いについては(知らないアニメにしては)かなり好きな方だと断言できる。
しかしそれはそれ。誰かと一緒に入っているカラオケボックスのなかに、ちょうどいい“違和感”を呼び込みたいとき、この曲は「めっちゃ好きってほどでもない曲」「ライトなオタクは聞いたことない曲」に生まれ変わる。だからしょっぱなはやっぱりこの曲だ。

『アクエリオン』を観たこともないのに知った風な顔をしているオタク(それはつまり私だ)どもに「Go Tight!」を聞かせてやろう。この曲をいつまで聞いていようが
〽1万年と2000年前から愛してる
は出てこない。かわりに
〽プラグ抜いたコンセントみたいに 涙ナミダ流れてくる
という歌詞が聴衆を困惑で包むだろう。

(「Go Tight!」には「エレメント合体Ver.」という別バージョンもあり、「原曲かと思ったらエレメント合体Ver.かよ!」という方向で「じゃないほうしばり」に入れる、という高度な技も存在する。しかしこのような高度な技は披露する相手をかなり選ぶので次回以降にとっておこう)

2.愛がなくちゃ戦えない / A応P

お次はこの曲。前フリとして「じゃあ次はキューティーハニー歌いまーすwww」と宣言してからの「愛がなくちゃ戦えない」である。
「キューティーハニー歌う」といえば、倖田來未のカバーでも知られる
〽この頃はやりの女の子
のアレが予想されるところだろう。が、私は「じゃないほう」を歌わなければならないので、『Cutie Honey Universe』の主題歌であるところの「愛がなくちゃ戦えない」を歌う。

「キューティーハニーと言えば『この頃はやりの女の子』だろ」という認識はおそらく間違ってはいない。
〽この頃はやりの女の子
で始まる曲「キューティーハニー」は、2004年までに作られた4つのアニメシリーズすべてで一貫してOPとして使われている。あの曲のイメージは『キューティーハニー』という作品そのものにしっかりとしみついていて、生半可なことでOP曲を変更するのは得策ではない。
しかしどういうわけか、2018年の『Cutie Honey Universe』は全く新しい楽曲「愛がなくちゃ戦えない」を主題歌として採用した。制作側になにか
〽この頃はやりの女の子
が使えない理由でもあったのか、それとも純粋に「全く新しいキューティーハニーを作ろう」という気概があっての新曲だったのか、事情はわからない(A応Pはこの頃はやりだしね)。が、当時のアニメオタクには「例の主題歌が聞きたかったのになあ」と少し残念がる反応が多かったと私は記憶している。
つまり、「愛がなくちゃ戦えない」は、曲自体は(たぶん)悪くないが、往年の名曲を期待してしまう老害(それはつまり私だ)の前では「じゃないほう」の曲になってしまうといったところか。

(ちなみに、私はA応Pが歌う原曲Ver.もまあまあ好きだが、ミスティーハニーが歌うカバーVer.になるともっと好きで、その好きさ加減は脳内カラオケにはもうふさわしくないくらいである)

3.聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム~ / 影山ヒロノブ & BROADWAY

今度はちょっと古めにふって『聖闘士星矢』のこの曲。『聖闘士星矢』といえば、ふつうは
〽少年はみんな 明日の勇者
でおなじみの「ペガサス幻想」だろう、「ペガサス幻想」を外すなら「聖闘士神話」がカタい(『閃光ストリングス』とかはさすがに外しすぎだと思う)。
「聖闘士神話」は『聖闘士星矢』の後期OPであり、きっちり41話ぶん使われているから、印象に残っている人も多いらしい。私の職場にいる40代はみんな「あーこの曲聞いたことがある」とか言ってくれる。が、そのあとで必ず「『ペガサス幻想』じゃないほうね」とも言う……2曲目って残酷!

(あまり関係がない話だが、『ペガサス幻想』はカラオケで高得点がかなり出しやすい曲らしい。私の脳内カラオケボックスには採点機などあるはずもないので、試したことはないのだが)

4.ライダーアクション / 子門真人

そろそろ特ソンも入れておくかということでこの一曲。フリは

「仮面ライダー歌いまーす」
「どの仮面ライダー?」
「もちろん……初代!」

あたりでいいだろう。

この曲は、もともとEDだったものがのちにOPにも採用されたという経緯(「はじめてのチュウ」の逆だ)を持つ曲で、いちおう『仮面ライダー』後期のOPということになる。さっきの「聖闘士神話」と手口自体は似通っているが、特ソン、しかも歴史あるシリーズの1曲目ともなると、全然知らない曲を歌われることで虚を突かれる聴衆もいるのではないかと思う。

5.Dancing with the sunshine / 杏里

『キャッツアイ』からこの曲。「後期OP」という手口ばかり使っていると予測されやすく、違和感が損なわれていくので、変化をつけて今度はEDをチョイス。『キャッツアイ』と言えば
〽見つめるCat’s Eye magic play is dancing
でしょ、という人に全然知らない曲を聞いてもらおう。

そもそも怪盗キャッツアイの3人があのレオタード姿をしているのは、ED映像でこの曲に合わせて歌うため……というのはおそらく言いすぎだが、ともかく彼女たちのコスチュームがここまでしっくり来ている場面はED映像以外にない。そういうわけで、このED曲は作品の世界観にとってかなり重要な一曲なのだが、まあ、そんな楽曲でさえ、あのインパクト抜群のOP以上の知名度を得るには足りないということだ。

6.四方八方肘鉄砲 / 繭実

人が聞いたことないマイナーOP・マイナーEDばかり単純にプッシュしていても芸がないので、ちょっと趣向を変えて、『忍たま乱太郎』からこの一曲。

「『忍たま乱太郎』といえば「勇気100%」かと思いきや、そっちじゃないんかい」という、外し方の基本路線は変わらないが、この曲に関しては、一部聴衆に対してもう一段階の追加効果が見込める。
じつはこの曲は『忍たま乱太郎』劇中でインストVer.が頻繫に使われている鉄板BGMなのだ。そのため、『忍たま乱太郎』を子どもの頃ちょっと観ていたくらいのライト視聴者はこの曲が歌われたとき「この曲って歌詞あったんだ」という驚きを得るのだ(私ははじめて聞いたときそうだった)。

よくよく思い起こしてみれば、劇中で「忍術学園校歌」としてはっきり歌詞付きで歌われていたような気もする。違和感は発見の種である。

7.セクシー・アドベンチャー / 中村祐介

次は『ルパン三世』からこの一曲。
まず、「次はルパン三世でも歌うとするか」と言ったときに、一部の聴衆は「あー、『あの主題歌って歌詞あるんだ』っていう驚きね」という予測をするかもしれない。しかし、私は別に
〽男には自分の世界がある 例えるなら空をかける一筋の流れ星
をやりたいわけではない。そのレベル帯の聴衆は私の脳内カラオケボックスにはいない。
私の脳内カラオケボックスにいる聴衆ならば、「あー、『云々流れ星』で知られるOPとみせかけて、全然知らないED曲を歌う感じね」とか「はいはい、『云々流れ星』で知られる第2期OPとみせかけて、ルパンザサードを連呼するあの第1期OPを歌う感じか」とか予測をするだろう。おそらく聴衆もだいぶ慣れてきているので。
しかし、慣れてきている人間にはそれ相応の隙というものも出てくる。ここでちょうどいい外し加減は、第2期EDや第1期OPよりもむしろ、まさかの第3期OP『セクシー・アドベンチャー』だろう。

『ルパン三世』というのは、息が長いだけに多様なイメージを内包してきた作品だ。ギャグ寄りのルパン、ハードボイルド寄りのルパン、様々なルパン像が描かれてきたなかで、ルパンファンの9割が好むルパンも1割にしか好まれないルパンも生まれてきた。
その中で第3期の『ルパン三世』はファンの間での好みがはっきり分かれるルパンだっただろう……至極はっきりとした理由「次元の目が常時見えてる」によって! 私は作品の良し悪しを論じないが(観てないので)、第3期は(それが好きであれ嫌いであれ)“通のルパン”である、と認識している。だから第3期OPも、通のOPであると言ったら拡大解釈だろうか?

8.サザエさんのうた / 堀江美都子

『サザエさん』からこの一曲。
この曲は『サザエさん』の火曜日再放送版でOPとして使われた曲だ。『聖闘士神話』のような時期違いOPのパターンにも当てはまらず、『Dancing with the sunshine』のような単なるEDのパターンにも当てはまらず、『セクシー・アドベンチャー』のようなシーズン違いのパターンにも当てはまらない。この曲がどうして「じゃないほう」なのかという説明が難しいわりに、「じゃない」のパンチが弱い。なかなか“ちょうどいい”加減の違和感である。

この曲、なかなか歌詞がよくて、特にサビで繰り出される
〽私もサザエさん あなたもサザエさん
というフレーズには初耳の聴衆もハートをキャッチされること請け合いである(アンパンマンたいそうメソッドですね)。

(あまり関係ない話だが、【女王】堀江美都子は私の最も好きな歌手の一人だ。最近は【女王】堀江美都子と【帝王】ささきいさおが歌う「全界合体! ジュラガオーン」が個人的にかーなーりツボで、【女王】陛下への評価が全俺のなかで高まりつつある。この「サザエさんのうた」も脳内カラオケで歌う曲リストから外す(この曲が好きすぎて)日も近いかもしれない)

9.まっすぐ行く / 高山みなみ

今日のカラオケのシメには『名探偵コナン』のこの一曲。『名探偵コナン』といえば最大の定番曲は、映画でも必ずクライマックスで使われる「キミがいれば」だろうが、この曲の歌詞違いのアレンジにあたるのがこの「まっすぐ行く」だ。どうも、周年企画かなにかで例のテーマ曲に新しい歌詞をつけたらしい。
そもそも『名探偵コナン』のメインテーマが歌詞付きであるということを知らない層もいまではけっこういるかもしれないが、それはさておき。「キミがいれば」をまあまあ聴きなれているけど『名探偵コナン』にそこまで詳しくはない層(私とか)にとっては、「まっすぐ行く」を聴く経験というのは、イントロを聞いて「あっ、この曲はさすがに知ってる」と思ってから、なぜか知ってる歌詞になかなかたどり着かないという違和感がじわじわ迫ってくる仕様になっている。シメにはこういった、味のある違和感を持ってきたいものだ。

歌詞の内容は周年企画というコンセプトによく合致していて、『名探偵コナン』という作品の「不易と流行」をファンにしみじみと感じさせるものだ。こういうエモさは息の長い作品にしか出せないエモさであって、ずるさすら感じる。
すでに歌詞がついている曲に新しい歌詞を付けなおしたとき特有の、音数に対する文字数の多さなんかはちょっと気になるが、この曲の背景を思えば、それすらも『味』ってところだろうか。

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