逆立ちして踊れそうな気がする
先日、「 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 」を読んだ。
思わず、うめき声をあげた。続いて舌打ちした。
なぜって、実家で風呂を浴びている最中に、自分の家にお気に入りの石けんを忘れたことに気づいたからだ。
わたしはアトピーだから、美肌へのこだわりは人一倍で、なのに、なのに、なんてこった!と3分くらいパニックに陥った。しかし開き直り、実家でほこりをかぶっていた別の石けんの存在を思い出し、事なきを得た。
目に見えない力が、こつんと一つ頭を小突いてくれたのだと思う。
今日のわたしは、浮かれていた。そして焦っていた。というのも、今とある(自分の中で)重大な計画を実行するための準備の最中で、上記の舌打ちはその準備の道具を忘れなかったくせに、もっと大事で当たり前の石けんを忘れるとはどういうことだ、という自分へのいら立ちからだった。
準備している計画は、実行すればちょっとしたビジネスに関わってくる。それが今朝、一つ次の段階に進んだのだ。そりゃ、浮かれる。
だから、念を押されたのだろう。当分はまじめに働くこと、謙遜すること、忙しさにかまけないこと、ここの更新を忘れないこと。
そんな風に念を押されるくらい、今のわたしはかつてと比べられないくらい心が自由だ。
(追記:上記のビジネスとは、ノートの有料公開のことです。)
もともとタイトルを知っていながら、ずっと手を出さなかったこの本を読む気になったのは、たびたび世話になっていたヒーラーに「インナーチャイルドを癒すことに力を入れるとよい」とアドバイスを受け、真に受けて検索したらたまたま引っかかった、というだいぶマユツバな流れがあったからだ。
内容の紹介は他のレビューに譲るとして、このブログをこんなところまで読んでくれるあなたにはぜひオススメしたい。
わたしの場合、まがいなりに12週間のプログラムを一通り終えられたこと、そして風変わりで奇抜とも言えるたくさんのエクササイズが、疲れた心を癒し、傷ついたアーティストチャイルドを優しく目覚めさせてくれた。
書くのはがぜん楽しくなり、自分に自信がつき、物事をありのままに見られることが増えた。病んだ思考に捕らわれて何日も落ち込むことも減った。
こだわりに風穴を開けてくれるような、奇跡としか思えないこともたくさん起こった。
わたしたちは何事もコントロールできるようには生まれついていない。こびりついたこだわりは、邪魔になるたびに捨てる必要がある。単純な事実が、12週間をかけてゆっくりとわたしの中に染み込んでいった。
わたしたちは各々が、特別で、不思議で、素晴らしい、独特の個性と創造性を持って生きている。しかしそれらは、生きる上で仕方なく受けるたくさんの妨害によって埋められ、眠ってしまう。
その様子は凍土の下で眠る種子に似ている。降り積もった自己嫌悪を、凝り固まった怒りと悲しみを、創造的遊びという名の自己愛で融かしていく。
すると大量の種が一斉に芽吹き、それぞれのスピードでもって育ちはじめる。人生を創造によって彩ることを覚える。
永い永い、冷たい冬の後の春の楽園を見た思いだ。
最後に一つ、余談を。
当初は全く意外だったが、この12週間でわたしは少し痩せることに成功した。
意識的にダイエットしたわけではなく、本に書かれた創造的遊びや創作に没頭することで、食べ物に逃げることが減った。そして胃腸が回復するにつれ、頭の回転もよくなり、さらに創造に没頭できるようになった。
もともと肥満と言わないまでも、少し締まりのなかった体型は今や、セラピスト業務に追われてただやつれていた頃よりも美しい。
もちろんその感想や達成感が、この本によって育てられた自己愛のたまものだということは、言うまでもない。
※2015/2/6のtumblrより転載
#読了 #ずっとやりたかったことを 、やりなさい。