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「覚えること」と「理解すること」の境界線

私は、子供が「物理嫌い」「数学(算数)嫌い」になる瞬間が存在すると思っています。

それは、私が今でも「数学嫌い」になった瞬間(高校生の時)を覚えているからです。

幸い、私の「数学嫌い」は、大学進学後にある程度修正されました。


物理や数学には、

・定義として覚えること
・論理的に理解すること

の2つがあると考えています。

そして、
この2つの境界線を間違えない」ようにする事が大切です。


まずは、
定義として覚えること」についてです。

例えば、「3」という「キャラクター」は、「数字」を表し、「サン」と発音し、「🍎🍎🍎(物が3個ある概念)」を意味しています。
これは、明らかに「定義として覚えること」です。
何故なら、論理的に考えて、導き出せる内容ではないからです。よって、覚えるという選択肢しかありません。



一方、「論理的に理解すること」は、「定義として覚えた複数の事柄の関係性を理解すること」です。

「3✖️2 = 6」を例にあげて考えてみます。
まずは、「3」「2」「6」の「キャラクター」としての定義、「✖️」の定義を覚える必要があります。
そして、「論理的に理解すること」は、「🍎🍎🍎(3個)」のりんごがのった「お皿」が2つあるので「🍎🍎🍎+🍎🍎🍎=🍎🍎🍎🍎🍎🍎」という映像としての概念を持つことです。


もし、「3✖️2 = 6」を「九九の定義(言葉だけで)」として覚えていると「サンニガロク」は、ただの意味のない呪文です。テストで点は取れても、日常生活では使いものになりません。


人によって差はありますが、ある時点から「論理的に理解すること」が「定義として覚えること」にすり替わってしまうことがあります。

この現象が発生する原因は「定義として覚えること」のほうが「論理的に理解すること」よりも、圧倒的に楽だからです。

そして、これは自ら意図的に行う時もありますし、その様な教え方をされることもあります。
そして、最も恐ろしいことは、一度これに入ってしまうと、抜け出すことができなくなることです。

しかし、これを行った瞬間から「物理嫌い」「数学嫌い」が始まります。

よく、「sin, cos, tanなんて、学校を卒業したら使うことはない」なんていう話を聞きます。これは、半分正解で、半分間違いです。

実際にエンジニアは、
「sin, cos, tan」を「論理的に理解していること」で、使いこなす事ができます。そして、世の中に製品を送り出すことができます。

一方、学校を卒業した後、一生使うことのない人もいます。もしかすると大多数は、そのような人達かもしれません。それも事実です。

しかし、最も重要なことは「sin, cos, tan」などの個別の内容ではありません。重要なことは、物理や数学の勉強を通して、「論理的に物事を考える訓練」を行うことです。せっかくの訓練の機会を放棄していること自体が問題です。


この様な事態を極力避けるにはどうすればいいでしょう。

私は「公式を使って多数の問題を解く」ことよりも、「何故、その公式が導き出されるのか?」にフォーカスして勉強をすることが必要だと思います。

物理の面白さは、「原理原則を理解して応用していく」ことにあると思います。
(100年に数回、原理原則を見つける方がいますが、こちらは別次元の話かもしれません)

そして、これは物理や数学のテストで点をとるために役に立つのではありません。

子供達の未来を豊かにしてくれる力につながると信じています。

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