無限の思考力 014
〜「無限の思考力 001」からお読み下さい〜
少し話は横道にそれるが、
「学校の成績が良かったからといって、必ずしも社会で活躍できるとは言えない」
「学校の成績が悪かったからといって、社会で活躍できないとは言えない」
と言うような話を聞く。
実際に、社会に出て長く働いていると、上記のようなことを見聞きしたことがあるだろう。
「何をもって、活躍している人か?」ということはある。ここでは、「比較的、仕事で成功している人」としておく。
学校の勉強は「赤色のエリア」にフォーカスして勉強することが多い。これは悪いことではない。何故なら、何事も最初は覚えることがあるからだ。
もし問題があるとすれば「全てを丸暗記する」という部分にある。記憶力がある程度良い人であれば、中学レベルの学習内容なら、反復練習により全てを覚えてしまう。さらに良い人なら、高校レベルでも覚えてしまうだろう。
私は「記憶力」が良くない。よって、反復による丸暗記勉強法は子供のころからしていない。正確に言うと、出来なかった。最低限のことを覚えたあとは、理屈を考えて理解することに努めた。
数学や物理で言えば、「何故、その公式が導き出されるのか?」を考えることだ。こうしないと、テストで点がとれなかった。覚えられないから、仕方ない・・・
しかし、残念ながら私は天才ではない。たいして勉強に時間もかけず、この方法だけで乗り切れるほど高校の勉強はあまくなかった。私にとっては、理解するには難しいことが多過ぎたのだ。よって、毎回テストは酷い結果だった。
結局、高校に入学して早々に挫折し、真剣に勉強することを止めてしまった。
そんな中でも、続けていたのが「理解して解く」ということだ。ただし、どちらかと言うと、「如何に勉強をせずにテストで点をとるか」というために実施していた。
しかし、今思うと、この勉強法で「黄色エリア」の力がついたのは間違いない。事象や公式の成り立ちを結果から分析していく。「赤色のエリア」の事象を、あえて「黄色のエリア」に移動して、条件を変えて考える。
また、「青色のエリア」の力もつけることもできた。それは、想像力を働かせ、インプットから自分なりの論理を構築していく方法だ。そして、最終的に合っているかどうか答え合わせをする。
それが結果的に正解かどうかは問題ではない。考えること自体に意味がある。
「記憶力」が不要と言っているわけではない。「論理的思考」には、「記憶力」「分析力」「創造力」のバランスが必要だ。
「物事を幅広く知っているかどうか」で「分析」や「創造」の範囲は変わる。よって、「記憶」は不可欠だ。ただし、昔と比べると、色々なことが容易にネットで調べられる今日においては、細かなことを覚えておく価値は減少している。
私がここで言いたかったことは、
「記憶力の悪さが原因で、テストの点がとれなかったとしても、論理的思考ができないわけではない」
ということだ。
「分析力」「創造力」を磨けば、「論理的思考」は可能になる。
「無限の思考力015」へ続く。