![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170363486/rectangle_large_type_2_63ba8374f14827b4baba7d58c2f1bf44.jpg?width=1200)
記憶は本物かどうか
先日「一番古い記憶」について書いた。
今日、一番古い記憶について、子どもたちと話していて、あれっと思った。自分の記憶のはずなのに、そこに映像として自分がいることがある。
記憶だったら、自分が体験したことであるはずだから、視界はその時の自分の視界になるはずで、そこに自分の姿は映らないはずなのではないか。少なくとも、自分を外から見た映像または画像にはならないはずだ。
でも不思議と、自分がそこにいる。ことがある。これいったいどういうこと。
1つ考えられるのは、記憶というのは、何度か思い出すことで新しく一つの映像または画像となるのではないかということ。記憶ははっきりとした絵ではないのかもしれない。思い出すことで絵を作っていっているのではないだろうか。
あと、今の子どもたちは小さな頃の動画が残っているということ。この動画を見て、自分の記憶と混同している子は多いのではないかと思う。
果たして記憶は本物なのか?
それとも、新たに作られたものなのか?
もう一つ、妙なことがある。
記憶と、夢は、なんか似ているのだ。
記憶について考えたり語ったりしている時、それは、夢について考えたり語ったりしているのと酷似していると気づくのだ。
例えば先程の、自分がそこにいるか否か。
他にも、色がついているのかどうか。
五感が感じられる物なのかどうか。
記憶と夢はどういう関係なのか。
夢の話は、皆どこか、全くわからないものの話として捉えていることが多いだろう。対して記憶はもっと現実的なものだと思われているだろう。記憶の曖昧さは誰もが体験しているはずなのに、だ。
私は記憶も、夢と同様のものなのではないかと思う。そこに確かな記憶などないのではないか。もちろん全ての記憶が信用ならないわけではないと思う。基本、記憶は正しい。ただ、詳細はもしかするとめちゃくちゃなのかもしれない。
夢のことを考えると怖いなと昔からよく思っていた。今は、記憶も怖いなと思う。
あ、夏目漱石の夢十夜はそんなのを描いてるのではないのか?もしかすると。ふと思った。もう一度読んでみよう。そんな風に読むこともできるのかもしれない。面白いな。