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「残す」ってなんだろう

今日はとある場所でとある哲学対話に参加してきた。
その詳しい話も書きたいんだけど、今日はクタクタなので、またいずれかの日に。
でも、その対話のテーマと、その中である一人の人が言ったことが今頭の中をぐるんぐるんしている。

対話のテーマは「残すってなんだろう」。
とても面白く興味深いテーマであり、その場の対話もとても面白く進んでいた。

ある人が、自分の話をした。昨日、十数年飼っていた犬が亡くなったのだそう。その犬の写真はあるが、犬と一緒に撮った写真が一枚もなく、とても後悔しているという話。
その人の、後悔の気持ちが言葉や声からとても伝わってきた。でも、その直後に、こうも言った。その犬のこと、一緒に過ごしたこと、様々なことはしっかり覚えているし、いつでも引き出せる。忘れることは決してないと。

これがずっと頭の中をぐるんぐるんと漂っている。
なぜ、忘れることがないのに、一緒の写真を撮らなかったことを後悔するんだろう。その人に対して、なぜ?と思うのではなく、人間というものは、なぜそうなんだろう?という問いに近い。

私は写真をよく撮る。最近はそうでもないのかもしれないが、昔は「もう二度と見れないかもしれない」とか、変な感覚があって撮っていたような気がする。覚えておけばいいのに、記憶にあるだけではなぜダメなのか。じゃあ覚えているってどういうことなのか。忘れない、とは意味がないことなのか。画像が残ってこそ「忘れない」に意味がつくのか。そもそも、忘れないってどういうことだろう。覚えておかなければいけない必要があるのか。そもそも記憶に必要不必要はあるのか。自分でコントロールできるものなのかどうか。忘れたくても忘れることができないことがあるのはなぜか。

よく考えると「残す」「忘れない」は、私が多分もともと持っている問いだ。さらによく考えると、私はその問いを小さな頃から持っている。そして小さな頃からよく一人哲学対話をしていたのだ。ある時はぼーっと妄想しながら、ある時は詩を書きながら、ある時は国語の小説を読みながら、ある時は数学の問題を考えながら。

一人哲学対話は、もちろん対話じゃない。だって一人だから。
全然違う背景の、全然違う年齢の、全然違うところに住んでいる、全然違う人たちと、自分のもともと持っていた問いにつながる対話をしたっていうのが、そしてそれが本当に面白かったっていうのが、とにかく今日の私の幸せなのだ。

今はとにかく眠い。
疲れている。
でも、心地よい疲れだ。

人と話すのはとても疲れる。でもとても面白い。
一人哲学よりも断然面白くなる時がある、というのを、久々に思い出した。

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