見出し画像

"時間"はそもそも存在しない


もしあなたが時間を存在していると思うのならば、時間という概念の鎖に囚われているのかもしれない・・・というお話。

この資本主義、いんや、この競争社会では、
僕たちは止まれないようになってる。

Panasonicが販売予定の洗濯機を作らないといえば、その影響は下請け会社に及び

そこで勤めている人たちの生活に及び、
全ての歯車がずれ始める

昨日、そんな話を聞いた、確かに。

だからこそ僕たちは
この競争社会の中で止まれないようになってる

さながら、ラットレース

でも、みんなが縛られているのは、

時間が誰にとっても有限で過去から未来へと一定の方向、一定の速度で動いている、という"前提"があってこそ。

#Thetime

大切な大切な今この瞬間を生きられる
鍵になるかもしれないお話。

まず受け入れられるかはさておき。

実際は1時間なのに5分に感じた、という場合、実際の時間ら1時間ではなく5分なんだよね

ん?どゆこと?って?なりますよね。


本来、僕にとっての1分は今これを読んでいる
あなたにとっての1分と同じではない、のです。

時計の針正しいのではなく。
本当は、体感時間こそが現実なのよね。

みんな体感時間がどうだろうが、当たり前のように時計が示す時間の方が真実だと思ってる

でも、それはなんで?どうやって証明する?
これはね、実は物理学的にはまだ証明できていないことなんですよね・・・

だからこの世のあらゆる物質の基準になっている、科学のあらゆる物理実験では前提として、全ての人にとって一分は一分である場合なら、という"絶対時間"という仮説条件が絶対に加えられている。

ガリレオが地下室で振り子が揺れるのを見て、振り子が同じ時間をかけて左右に振れているのでは?というのを自分の脈拍を使って測ったという話が有名です・・・

え?!でもなんで脈拍が一定速度だと言えるの?!っていうか、自分で脈拍を測ってるから自分の感覚のさじ加減次第じゃね?!

っていう話なんですが、実際これも証明されてないままなんです。

つまり、体感で脈拍も一定だし、振り子も一定っぽかったし、それでもう一定ってことで!!

ってな具合に、誰かが言い出した、時間は一定!!な程で僕たちの日々の暦、時間感覚というのは作られています。

この時間感覚というのに一生コントロールされながら、僕たちはこの地球の人生を過ごしているんですよね。

みんなほとんど人が1日は当たり前に24時間だと思いこんでるのはないでしょうか?・・・

そう、思い込んでるのです、僕たちは。

その昔、江戸庶民にとっては不定時法という時間感覚が根付いていました。

季節によって一刻一刻の長さが変わる方法です、言えば、大工の親方が、そろそろメシにでもすっか?!

という感覚でお昼時を迎え
日が暮れない内に帰る、なんてそんな感じ

大体の感覚で生活を送っていたんですねぇ
体感時間主義だった訳です

西洋と貿易をするようになって以来、日の長さに関わらず時間は数秒単位で管理し、時間きっかりに動く、定時方が採用になったそうです。

この時間感覚、僕たちの人生にとって実はすんご〜く大切なんですよね。

見えない力の分野を研究していくと、必ず陰陽道や、陰陽五行思想、暦の分野に辿り着きます

この時間感覚を書き換えられた、というところから感覚を切り替えると、地球の遊び方がより一層深まるかもしれません。

時間は待ち合わせ場所

時計はなんで必要なんでしょうか?

例えば一日は48時間です!って人がいれば
その人は普通の人の半分のスピードでしか歳を取らないことになるんですよね。

「あらっ〜いいじゃなぁ〜い」

なんてどこぞのお姉さまから
聞こえてきそうですが、、

うん、いいですよね笑

年齢だけに関わらず一日が倍になればできることが沢山になるので・・

でもなんでみんなそうしないのでしょうか?

そう、時間は社会活動において集団で生活する上で便利だから目安として作ったんだよね。

16:40だったら16:40という時の点で合う
そんな感じ

時間は目安なんです。実際は点の連続。

物理学において、海岸線の長さだとか、机の長さだとか、物の長さを正確に測ることは不可能だも言われています。

大きいか小さいか、それは全て"比較"による概念なんですよね

はい?測れるじゃん!って声が飛んできそうですが、事実、不可能なんです。

興味のある方は「フラクタル」と
調べてみてください。

時間の長さも、実は比較で変わってしまいます
この世の中において大きさや長さの体感は全て比較からしか生まれないんです。

楽しい温泉旅行を一瞬に感じたり、好きな人からのLINEを待ってる一分が永遠に感じられたり。

1週間なんてあっという間でできることなんてほとんどないと感じるけど、

残り1週間の命だとすればかなり出来ることが浮かんできたりするはずです。

時間も物質と同じルールに当てはまり、しかも僕たちの体感"感覚"こんなにも密接にあるというのがとても面白い感覚を生み出し始めるんですよね

実際に存在している氣温を相対的に図るのが温度計なので、温度は存在しますが、

時計は勝手にそう動くように作られているもので、何か実際に存在しているものを相対的に測っているものではないのです。

つまり、結局あると言えばある、ないと言えばない、という僕たちの概念が作り出している時間というルールがこの世界の基準なのです。

神様は存在するという概念と同じです。
存在しないといえば存在しない。

つまりは時間とはただの解釈なのです

この感覚を掴むことが出来れば、時間は有限だという、時間の牢獄から解放されてきます。

時間そのものが存在してるのではなく僕たちの意識が時間を存在させている。

だから、時間が勿体無い、時間は限られているという前提を捨ててみませんか?

それでも陽は登ってまた陽は落ちるじゃないかという人がいる!

でもそれによって時間が存在しているということにはならない。

それはただ繰り返し陽が登って陽が落ちているというだけなのです

実際は僕たちが一瞬一瞬あっ!と感じる認識の連続しかこの世に存在していない。

時間などただの概念と設定だと氣づけるか

それでもシワは増え、筋力は衰えるじゃないかという人がいる。

それなら、技術が進歩し、細胞を再活性化することができれば、時間が遡ったことになるんだろうか?

時間が過去から今に向かって進んでいるのか、未来から今に向かって進んでいるのか。

これは因果関係のプロセスを考える工程にしか過ぎない。

幼少期そういう経験だったから大人になった今こうなったのか、こういう大人になるために、幼少期そういう経験をしたのか。

時間は常に今しか存在していない。
僕達は常に時の間を生きている

時間は有限じゃない
今しか存在しない。

これが真に腑に落ちたら感情の捉え方が変わってくる。

時間牢獄の制限から抜けだせる。

時間牢獄が人間の感覚を萎縮させ、
今の感覚を奪い、豊かさを奪う

知らず知らず自由を侵し、
可能性に満ち溢れた人生を奪ってくる


楽しんで生きてる人は時間が短く感じるっていうけど、ほんとに短いんだよ、だから年齢の変化も実際少しずつになる。


だから時間の無駄とか勿体ないとか言わないで贅沢に使ったらいいんだよ、
大昔人がそうしてたように

時間もお金も競争社会が奴隷のように僕たちを働かせるために作った幻想だよ

焦るほど無くなっていく

もがくほど足を取られる。

だから、時計の針なんかよりも自分の感性を信じよう。心のままに、運命のままに。

少し分かりにくいテーマだったと思いますが、触りだけ、可能性を伝えたくて上げてみました。まずは時計や周りに流されず焦るのをやめて、自分軸な時間の流れを感じてみて

もし、今が動く時だって感じてるなら、時間やお金を代表とした、固定観念の鎖から抜け出そう

2023年の今、僕たちは氣づいた時から天命にショートカットできる追い風を受けてる

地球の旅を最大に楽しみたいなら実はそっちの方が圧倒的に早い

時間に支配されるんじゃなくて、時間の定義は自分で決めて、時間を支配しよう

さぁ、どんな時間を過ごす??どの時間の待ち合わせ場所で誰とどうやって会う?

そうやって次元を上げて地球を観るとまた一つ違う視点ができるかも。

結局何が言いたいって、
正しさより、楽しさ

時間がないないって
人生を捨ててんじゃ勿体無いない

時間は有限だから人生を無駄にしたくないという焦りが僕の人生を無駄にしていた

どう捉えれば楽しいか、豊かか?
その視点で、自分で決めればいい。

常識は幸せにしてくれない
そうやって信じられないぐらい
自由に豊かさを取り戻そう

時間はただの待ち合わせ場所

いいなと思ったら応援しよう!