毒親から逃げるまで(園児編 その3)⑤

園内にいる時間は年少の2学期以降は平和だった。
毎月あった保育参観が苦痛なのは変わらず。
とにかくけなす事が趣味でしかない人なんじゃないかと思う位毎月愚痴愚痴やられた。
保育参観がなければいいのにと思った位。

この経験があるからかもしれないが、子供の授業参観行っても褒める事だけに徹するようにしていた位。
後、うちの子が通った幼稚園は保育参観が学期毎に1回づつくらいだったのもある。今思えば多すぎるし人間関係も面倒だったのでは?と思う位。

園内は平和であっても、降園後が大問題だった。

私が育ったのは昭和の末期。
まだ園児だけで遊びに行ったりしている時代だった。
そう、毒がまだおむつをしている弟も連れて行けと毎度バトルになっていたのだ。

今の時代なら1歩間違ったら放置子になる。
しかも、この弟ある意味手癖が悪い。
万引きするとかそういうのではなく、家でも他所でも出されたお菓子を一口だけ齧って戻すという行為を当時していたのだ。私はこれが大嫌いで、テーブルの上にあるお菓子を食べようとお皿を見ると全部齧られていた、なんて事はしょっちゅう。
当時弟は確か1歳。言ってわかる年齢じゃないのはわかるが、言い聞かせていかなければいけない年齢。しかもそれを連れて行け!というのだ、
自分が下の弟妹連れていたからなのもあるが、戦後まもなくの時代じゃねぇ!今は昭和末期じゃ!
というのが今思う事。
一度仕方なく連れて行ったら、そこの家のお母さんから
「次からはけつねちゃん一人で来なさいね」
と言われた。
当たり前だ。友達の家までは片側1車線の交通量の多い道路を渡っていかなければならない。
しかも、信号がなく横断歩道しかないところ。
この危険を冒してでも連れて行けと言うのだ。

当然だが、次も連れて行け!と毒に騒がれる。
前回友達のお母さんに弟はダメと言われた事を言うと、もうそんな家に行くな!家にいて弟と遊びなさい!となる。
当然遊びに行けない連絡なんて幼稚園児には出来ない。次の日嘘つき呼ばわりされるだけ。

毒親が親だと、いじめられるという運命はこれから知る事になっていく。

ちなみに、その友達のお母さんが言ったかどうかわからないけど、ある時の毎月の保護者会の後から一人で遊びに行くようになった。
もしかしたら、下の兄弟、ましてやおむつ付けてる子を幼稚園児に面倒見させているのが問題になったのでは?と今更ながらに思う。

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