毒親から逃げるまで(園児編 その2)④

年少の2学期に入って担任が変わった。
私は知らなかったが、寿退職されたとの事。
前の先生は怖かったのでいなくなってほっとした。

確か6月終わり頃だったと思う。
小さな園で、全部で4クラスしかない。
各担任と園長先生、副園長先生しか普段からいない所だった。そんな中に見慣れない人がいた。

あの日、私は砂場で遊んでいた。
友達とお山作ってトンネル作ろうとしてた覚えがある。
そこへ

「いーれーてー!」

聞きなれない声だった。
振り返ると知らない大人。

当時、私はよく熱を出して休んでいた(これもかなり後まで散々仮病だ!と毒に言われていた)ので知らなかった。一緒に遊んでいた友達は

「いーいーよー!」

とあっさり反応。私の頭の中は「?」だった。
この頃から人に聞くという行為はしてはいけない物という認識(わからないから聞くと毒から鉄拳制裁。「1度で覚えるものだ!」と怒られる)があり、何がなんだかわからない状態だった。これはかなり後まで尾を引いた。

その大人は一緒に遊んでくれた。
しかも一緒になって。
当時の担任は失敗とかすると、大騒ぎして親に報告をする。もうおわかりでしょうが、うちの毒にそんな事するもんだから、帰宅後それをネタにネチネチやられる訳で、幼稚園が苦痛でならなかった。特に毎月あった保護者会の後が特に酷かった。

ぶっちゃけ、幼稚園はあんまり面白くなかった。
毒が先取りで入園前に色々やらせていた(前術の字の練習とか)のもあり、今更感がすごくて何でこんなことするのだろう?と疑問ばかり。しかもお勉強園だったのもある。

夏季保育、私が通っていた園はプールはパンツと下着で入るという、今考えたら変質者さんいらっしゃい!な園だった。このプールも大嫌いだった。
水遊びじゃなくて、泳ぎを教えるがメインで、小さくて浅いプールに投げ込まれるのが嫌で逃げ回る。案の定毒に報告が行き、秋からスイミングに通わされた。
ここでもかなり抵抗&毒の鉄拳制裁があった。
ある時弟が具合悪くて見学に毒が来なかった時があった。今思えば出来ないというのは、私にとって相当のストレス&悪循環だったんだなと今思えば理解出来る。来ない日に限ってちゃんと出来ていたのだ。それこそまた友達との比較も凄かったんだよな。なんで◯ちゃんは進級できたのに出来なかったの?と。この手の説教は平均1〜2時間くらい続き、酷い時は日を跨いで何日もネタにして思い出して説教された。

確かスタートから2回進級すると、親の見学ポイントから遠い場所でレッスンになるので、そこまではなんとか頑張った。
その頃には一緒に連れてきていた弟を追い回すのが忙しくチェックされない上に、毒の知り合いが誰もいないクラスだったのでタレ込みもなくなっていた。

スイミングは小学生になる頃には毒の付き添いがなくなり、こちらもやめる3年生までは快適に過ごせた。

泳げない話はここまでで、夏季保育最終日にすいか割りを私が通った園ではやっていた。
園児なので、棒がスイカに当たれば先生お手製の紙のメダルが貰えた。当たらないと貰えない。

この時私の脳内でどっちが得かという訳のわからぬ計算をしていた。

メダルを貰った場合と貰わなかった場合で。
これは年少の時は貰えずネチネチやられた。
もし、持って帰ったならどうだろうか?
飾っておくなんて絶対出来ない。そう、弟だ!
あいつがビリビリに破いて喧嘩になって、間違いなく鉄拳制裁だろう。
ネチネチと鉄拳制裁、どっちが我慢出来るかだ。
迷わずネチネチを選ぶ事にした。

当然だけど目隠し後に先生から誘導がある。
何を思ったか私は先生の誘導と逆に棒を振り下ろした。
このスイカ割りは親も参観で来ていて、明らかに右と言われていたのを、左に振り下ろした為に帰宅後のネチネチが当社比倍になってしまった。
まぁ、鉄拳制裁がなかっただけ良かった。

そして夏休み明け、担任の交代で最初に出てきた大人が担任になった。

新しい担任はすぐ親に報告しない人だった。
理由をちゃんと聞いてくれて、次からどうしたらいいかをしっかり考えてくれる人だったのは覚えている。
帰りの引き渡しの時も悪い事言われた覚えがない。
むしろ、頑張った事を報告する人だった。

私も前の担任は嫌いだったけど、その先生になってかなり落ち着きが出てきたように今になって思う。
この頃からやっと、周りの子と一緒に遊ぶようになってきた。

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