毒親から逃げるまで(園児編 その1)③

幼稚園に入園すると、祖父母宅へ行けるのは長期休暇だけになってしまった。それに気が付いたのは入園後。

この頃から毒母からなんでも1番になるように要求される。

これが苦痛でしかなかった。要するに完璧を求められるようになる。幼稚園も近隣で有名なお勉強園へ入れられた。今思えば全然楽しくなかった。中学卒業までは毒母の目があった為、学校がちっとも楽しくなかったのは事実。

毎月保育参観があり、母親+弟で来る。弟の保育妨害(いわゆる保育中の野放し。そもそも当時から弟は大嫌いな存在だった為邪険に扱い帰宅後怒鳴られるまでが毎月のルーティン)。他にも兄弟いる子はクラスにもいて、うちの親以外はみんな下の子は保育の邪魔にならないようにしていた。なぜそれができないのかと文句言えば鉄拳制裁。そんな事してれば兄弟仲が悪くなるのはわからないのだろうか?と今になって思う。

運動会のリレーの選手選抜されるが、2位での選抜された事にも怒られた。なぜ1番でなれないのかと?お絵描きも勉強もそう。1番じゃないと毎日ねちねちと怒られる。

自分の中の解釈で、1番になるという事はこの人の道具でしかないんじゃないか、別に1番取れなくたっていいじゃないかと諦めが出てきていて、多分1番取ったとしても誉めてすらくれない(これは実際小学生になってからあったので確証に変わった)んじゃないかと思うようになり、手を抜く事を覚えた。

入園後すぐに某音楽教室のグループレッスンに入れられた。これも自分で希望したものではなく、ある日突然行くと決まっていた。水曜日の半日保育の日の午後からだったのは覚えている。一度帰ってお昼食べてからまた幼稚園へ行ってレッスン。確か10人くらいのグループレッスンだった。我が家以外は下の兄弟がいる家はいない。たまにお兄ちゃん、お姉ちゃんが一緒に来てる子はいたけど、そういう子は本読んだりとか園庭で遊んでいたとかしていた。

そう、このグループレッスンは親同伴必須。当然邪魔で仕方ない弟もついてくる。当然楽器を勝手に触って音を出し、喧嘩に発展。帰宅後鉄拳制裁込の泣くまで怒るというか自分の思い通りに私が動かない為にキレている感じはあった。遂に先生が

「けつねちゃん一人で大丈夫よね?先生と一緒にやろう!お母さんは弟さん連れて外出ていてください!」

と、教室から出された。私はこれが快適でしかなく、翌週からしばらく先生が対応してくれていたけど、唐突に夏休み明けにこのグループをやめさせられた。毒母はやめる帰り道にキレて

「あんたが弟と仲良くできないからやめさせないといけないんだ!」

と怒られた。

私が習っていて、ちゃんとやっていた。だけど弟が邪魔をする。誰がレッスン受けていたのかわからない状態。何で私は怒られないといけないの?訳がわかならかった。おそらく毎週の事だったから他の親からクレーム出てた可能性はあるんだろうなと今になって思います。

その代わり翌月からピアノの個人レッスンに入れられた。これは同じクラスのお母さんの紹介だったんだけど、先に習っていた同じクラスの子との進度を比較されまくる。発表会の曲ですらその子より簡単な曲だからと文句言われた。同じ曲弾く方が嫌だよ…

ここでも弟の妨害があり、先生がかなりしっかり言ってくれた事もあって、抑えてくれるようにはなったけど、今度は泣き叫ばれてレッスンにならず、遂には

「来週からけつねちゃん一人で来させてください。あとはこちらで全部みますので!」

これにて教室にての弟との攻防は終わる。逆に個人レッスンだったのでその時間は自分の時間という考え方ができたけど、この頃から自分の意見を自分の言葉で言えなくなっていたんだなと改めて思います。

今思うとこの先生には感謝しかないです。
結婚して先生が変わった後もどうやら引き継ぎがされていたらしいのと、一人で往復出来るようになったのもあり、その後習い事絡みで弟と揉めることは一切なかった。

まぁ、他は学年が違うとかあって、時間が違った為かち合う事はありませんでした。


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