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谷川俊太郎「夜のミッキー・マウス」より

ひとつまみの塩

買っておけばよかったと思うものは多くはない
もっと話したかったと思う人は五本の指に足らない
味い損ねたんじゃないかと思うものはひとつだけ
それは美食に渇きつつ気おくれするこのぼく自身の人生

アイスド・スフレのように呑み下したあの恋は
ほんとうはブイヤベースだったのではないのか
クネルのように嚙みしめるべきだったあの裏切りを
ぼくはリンツァー・トルテのように消化してしまったのか

気づかずに他のいのちを貪るぼくのいのち
魂はその罪深さにすら涎を垂らす
とれたての果実を喜ぶ舌は腐りかけた内臓を拒まない
甘さにも苦さにも殺さぬほどの毒がひそんでいる

レシピはとっくの昔に書かれているのだ
天国と地獄を股にかける料理人の手で
だがひとつまみの塩は今ぼくの手にあって
鍋の上でその手はためらい……そして思い切る

レシピの楽譜を演奏するのは自分しかいないのだから
理解を超えたものは味わうしかないのだから

夜のミッキー・マウス

夜のミッキー・マウスは
昼間より難解だ
むしろおずおずとトーストをかじり
地下の水路を散策する

けれどいつの日か
彼もこの世の見せる
陽気なほほえみから逃れて
真実の鼠に戻るだろう

それが苦しいことか
喜ばしいことか
知るすべはない
彼はしぶしぶ出発する

理想のエダムチーズの幻影に惑わされ
四丁目から南大通りへ
やがてはホーチミン市の路地へと
子孫をふりまきながら歩いていき

ついには不死のイメージを獲得する
その原型はすでに
古今東西の猫の網膜に
3Dで圧縮記録されていたのだが



本の情報
夜のミッキー・マウス
著者 谷川俊太郎
発行 2003年9月25日
発行所 新潮社

 小学生の頃から、いつも心地よく共感できる言葉をくれる人、友達のように思っていた。高校生の時、手帳にサインをもらったこともある。谷川俊太郎さんの詩の言葉は、普段使いの言葉とは違って、恐ろしく鮮やかで容赦なく残酷で、口に出すと恍惚とする。可愛らしいような声で、とつとつとしたテンポで、詩を読む声が今も頭の中で聞こえる。ご冥福を、とはあまり言いたくない。詩人との距離は変わらないから。同じ時代を生きれてよかったと思う。

2024/12/01  古本 天栖土食虫

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