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竹の子

桜が終わり、竹の子の季節がきた。

子供の頃、裏庭でおばあちゃんと竹の子掘りをしたのを思い出す。柔らかくておいしいから、できるだけ小さいやつを探した。僕は地上に頭を出した竹の子しか見つけられないのだが、おばあちゃんはピンポイントでまだ地下に埋もれた竹の子を、まるで透視術ができるかのように見つけた。まだ地上に出てなくても掘るとそこそこの大きさになる。

「ほらそこにも!」と、おばあちゃんが僕の足もとを指差しても、僕にはどこにあるやらさっぱりわからない。とりあえず言われた通りの場所を掘ってみる。すると竹の子が隠れている。それを何度か繰り返すうちに、落ち葉の微妙な盛り上がりが認識できるようになり、その下に竹の子を発見できるようになる。それでもやっぱりおばあちゃんには敵わない。竹の子発見率はぜんぜん低い。子供心にさすが年の功と感心したものだ。


10数年後、大道芸をやり始めたころ、ラッキーなことに大道芸界のレジェンド雪竹太郎さんの芸を間近でみる機会に何度も恵まれた。何の変哲も無い公園の人の流れを読んで、急に人だかりを作ってしまう。圧巻だった。竹の子掘りには落ち葉の盛り上がりという目印があるが、人の流れを読むのにそんなわかりやすい目印はない。竹の子はじっとしているけど、人は流れていく。さらに人の流れを引き寄せるため、こちらの働きかけも重要になる。真似しようにも真似できなかった。経験に次ぐ経験のなせる技だと思った。


さらに10数年後、逆に、自分がパフォーマンス中にごく簡単にやっていることが、若手パフォーマーにとっては難しいという経験もするようになった。

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世の中のあらゆる職業には経験に裏打ちされた見えない技術が色々あるんだろうなあと思う。なのに、ついつい人様の仕事にお客様的な上から目線で「ああすればいいんじゃないか」とか「こうした方が効率よくない?」とか言ってしまい、3秒後にはそれがただの浅知恵だったと思い知らされる。そんな恥ずかしい思いを何度もした。今こうして思い出して、そんな想像力のない、謙虚さのない、浅はかな自分を反省する。

んーっ、竹の子掘りの想い出から始まって自己嫌悪に終わってしまった、、、。新鮮な竹の子をアテにぬる燗でもつけようかな。



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