初めてアイドルのライブに行って、改心した話※


 

※これは、自分語りの激しいライブレポートです。

はじめまして。けたみと申します。


まず、「アイドル」とは何か? 

 

 語義としては「偶像」を意味する。自宅にある『聖書思想辞典』を捲ると、「聖書は、ある意味では、神の民が偶像から離れていく歴史である。」とある。聖書的信仰においては偶像=アイドルは異教的でかつ「むなしいもの」であった。

 

僕にとっても、3次元のアイドルは「むなしいもの」であると思っていた。その偶像性はイデアへ導くことなく、資本主義的システムと肥大する男性的な欲求へと我々を仲介するものだと思っていた。そう、昨日まで。

 

 

僕は8/30、NUANCEというアイドルが主催する「ミライサーカスvol.2」というライブイベントに参加した。

 

このNUANCEを知ったのは、実はこの前日の事であった。

 

たまたまSpotifyで、「そういえばアイドルソングって普段聞かないな」ということでいろいろ探っていたところ、ある曲に出会い、大きな衝撃を受けた。

 

「雨粒」という曲である。

 

センチメンタルなイントロからAメロが始まり、劇的なサビへ突入する。この瞬間になぜか涙腺が崩壊した。

 

刻まれる8分音符と「愛が落ちそうだ」という歌詞。切なすぎるだろ!深夜にベッドでうずくまりながら感じるような、恋の切なさが具現していて、僕の情緒は殺された。

 

これは実際に聞きに行くしかない。そう思った。

 

この直後にはTwitterなどでライブ情報をサーチし、翌日浅草でイベントをすると知り、そしてチケットを購入していた。

 

 

そして当日。浅草に来るのは人生で二回目なので少し事前に歩いて回っていたが、カップルか集団の男女しかいない。風情のある街を、一人、強い怨念を抱えた亡霊のように彷徨った後、ついに開場の時間が来たので浅草花劇場に向かった。

 

むかし軽音部に所属していた時はよくバンドのライブで、こうやって「〇〇番までの方、入場できます~」みたいなアナウンスを聞いたものだが、それを5、6年ぶりに聴いてふとセンチメンタルになってしまった。

 

浅草花やしきというテーマパークの中を通ってホールに入っていき、後ろの方の席に座る。

 

5分前にアナウンスが流れ、ふと「アイドルのライブに直前に乗り込むことを決めた新参者」としての自分を意識してしまい、強い不安に駆られた。ここにいていいのだろうか…?

 

逃げ出しそうな僕の臆病な気持ちをかき消すように、突如BGMが大きくなり、照明が落ちる。ライブが始まった。

 

「美味しい曖昧」というアイドルらしい。カラフルな衣装に身を包んだ5人がステージに登場し、楽曲が始まる。

 

あれ…。素敵では...?

 

大多数の男性的欲求や資本主義的なものに媚びる姿なんて、そこにあるわけなかった…。

 

そこにあるのは、強い眩しさであった。

 

何かしらのイデアを仲介して存在する偶像ではもはやなく、彼女らがそれぞれ光源であった。

 

その光が直に届く「ライブ」という催し、恐ろしいと思った。太陽を5つ、間近で直視しているような気分。

 

(ここから回想シーン)

 

思えば僕は、「本気になったこと」がほとんどなかった。自分の有限の生命を燃やし尽くそうとしてこなかった。

 

子供の頃やっていたサッカーも、勉強も、高校から始めた楽器も、どれもそれなりに努力して、それなりにできるようになった。

 

おかげでそれぞれそれなりの結果が伴ってきたし、今の自分がある。しかし僕は...。

 

リスクを回避しながら、安全な道をひたすら歩いてきた。それなりのエリートとして、周りからすれば「成功」の道を。

 

僕の本気の気持ちを揺さぶったあの人と離れてから猶更、僕は無感情に歩いてきた。

 

しかし社会人になってしばらくした今、僕は気付いてしまったのだ、自分の人生の短さを!

 

強い絶望が僕を襲い、本気で死のうとすら思った。僕は何もできないまま老いていくのなら...と。

 

そんな迷いが、僕をここに連れてきたのかもしれない、と直感した。

 

(回想終わり)

 

美味しい曖昧の「バッドエンドのその先」という曲が流れてきた。

 

僕はバッドエンドを恐れて恐れて生きてきた。でもその先は「いい感じだよ」と歌う彼女らの姿が、僕は非常に大人に思えた。

 

いわゆるラブソングだが、本気で誰かに向き合い、それが悪い結末を迎えたとしても、その後に人生が続いていく。後悔や切なさを抱えながら、しかしその過去と現在を肯定する強さを感じた。

 

美味しい曖昧も、その次に出番があったクロスノエシス(踊りが優雅すぎて驚いた)も、異様に輝いていた…。


(ここで、キュートンという芸人グループも出演したのでその感想を簡単に記しておこうと思う。何も知らないでライブに行ったら椿鬼奴とかくまだまさしとかキートンとかを見られるとは思わなくない?意味わからんほどくだらなかったし、爆笑しました。マジで来てよかった)


そして最後にNUANCEの出番がやってくる。


スウィング調の「ルカルカ」という曲からスタートした。めちゃくちゃいい。


まず衣装がいい。上品な色と形で、それぞれに個性があって素敵すぎる。自分がこんな体型じゃなければ絶対に着たい。ダンスもめちゃくちゃ映える。


ダークな音楽をバックに歌って踊る彼女らの姿は凛としているし、輝いていた。


可愛い、とかセクシーとかそういう言葉を使うこともできるが、これを今まで避けていたのはこれらの言葉が本来的に男性的欲求に対応する言葉に思えるからである。


しかし、可愛いしセクシーなのである!彼女らがとてつもない努力を積み重ねて表現しえている武器の一つとしての可愛さは、それは我々の欲求に準拠したものではなく、それ自体が主体として輝いている!僕が求めている可愛さを与えられるという構図ではない、そう、僕は可愛さに殴られた!


などと打ちのめされてるうちにめちゃくちゃスムーズに二曲目(tomodachi)に突入した。フジヤマミズウミザルソバ〜♪という語呂の良さが無限に頭に残るキラーチューンだ。踊りも印象的…ポップネスの暴力か?


その次のハーバームーンも最高で、全曲について長文で語りたくなるのだが、きりがないのでしない。


だが「I know power」については語らせてくれ!


前日〜当日に何度か予習で聞いてた曲だが、生で聞くと圧倒的だった。愛のパワーです…。


大学でキリスト教や文学を研究しながらずっと僕が向き合ってきたのは「愛」であった。人生の課題でありテーマでもある「愛」を「本当の本気の本音」で届けてくれる存在が目の前にいる…。脳みそをこねくり回して僕が戦い続けた「愛」を、こんなにも簡単に、そして正確に表現しているではないか…。


衝撃だった。僕がその存在を信じきれなかったものが目の前に(そして僕の中に)生まれているのだ。


あくまでキャッチーに、ポップに、コミカルでさえある曲調にここまで感銘を受けるとは思わなかった…。めちゃくちゃいい。


そしてライブイベントのタイトルである「ミライサーカス」という曲を最後にやって終了。キュートンとのコラボも会場をおおいに沸かせていた。




僕がしてこなかった本気の努力をして、僕が信じきれなかった愛を届けてくれる存在…そして、それ自体として輝くことのできる存在…それはもはや偶像なんかではない。


僕がこの日見たアイドル達は常に主体であっただけでなく、そこにいる客、会場、すべてを一つにまとめ上げていた。


僕は彼女たちのパフォーマンスを見て、心に決めた。本気で自分のやりたいことのために生命を燃やすこと。そして、この目で見た「愛」を、たえず信じ続けること。「むなしいもの」はアイドルではなく、僕の過去だったんだ…!


僕も愛のパワーに突き動かされていたいから…。



結果的に、最高の一日になってしまった。これで2500円?おかしい、2億円くらいとれるだろ。


ただ、心残りが一つだけある。「雨粒」が聞けなかったことだ。このライブに行く大きなきっかけだったので、少し残念だった。


え?10/7にワンマンライブがある?


NUANCE NUSEUM TOUR2022 FINAL -JITEN-


というらしいぞ?チケットはもう売ってるみたいだぞ?会場はCLUB CITTA'というところらしい?


別に僕はヌュのファンになったとは一言も言ってない。ただ、「雨粒」を聞くために、行ってみようかなと思う。別に、ファンになったなんて言ってない。別に…。







 

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