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アメリカ人だって同じ人間だ(アメリカ留学#6)

 長かった夏期講習を終え、僕はついに大学一年生となった。大学のルールで一年生が住む寮は決められていたので、夏の間過ごした寮から引っ越しすることとなった。キャンパス内の寮から寮へと移動するだけとはいえ、キャンパスはものすごく広い(調べたら東京ドーム117個分もあった)ので、端から端へと移動するわけではないが、なかなか大変だった。こんな時普通は車で行う引っ越しであるが、残念ながら僕は徒歩で断行した。キャリーバックにアメリカに来た時と同じものを詰め込み、可能な限りごみ袋にものを詰め、それ以外は手持ちで運ぶ。僕は大学生活の終わりまで車を持つことはなかったので、似たようなことを何度もやることになった。

 大学生活はすんなりとはじまった。実は手違いで夏期講習だけ受けて帰ることになっていたのを、慌てて修正するというプチハプニングはあったが、無事にスタート。夏休み中ほとんど無人だったキャンパスが賑わう様子を初めて見たときは興奮した。夏期講習は夏期講習でそれなりに新鮮な経験だったが、ようやく本番が始まるといった期待感がそこにはあった。

 留学前、心に決めていたことがあった。英語力向上のため日本人と話さないというのが一つ、そしてもう一つは、まさにこの時期のために決めていたこと。最初の授業で隣になった人に話しかける、だ。英語は満足に話せないが、だからといって全く話さなければあらゆるチャンスを逃すことになるだろう。初回の、あのクラスの雰囲気が固まっていない時期にそれをすることがポイントなのだ。後々ではなく最初に仕掛けるほうが気持ち的にも楽に違いない。要は勢いである。それに相手はフレンドリーが服を着て歩いているアメリカ人。こちらが友好的な態度を最初に示せば、向こうからたくさん話しかけてくれるに違いない。

 そういう考えで僕は自らを奮い立たせて授業へと向かった。その学期に履修登録した授業は三つだけ。つまり三回チャンスがあるということだ。一番初めの授業は必修科目の健康に関する(正直全然覚えていない)授業だった。この授業は一年生がとる授業のようで、クラスメイトは全員一年生だった。都合がいい。

 教室に入ると、二十人くらいの生徒で溢れている。大学は田舎のほうにあり、生徒の人数がそもそも少ない。それに加え、アジア人は全体の5%ほどしかおらず、そのほとんどが一学期のみや、一年だけの短期留学生だ。そしてそういう人達は好きな授業や、母国で通う大学の専攻に関わる授業をとるものなので、こういった必修科目はとったりしない。なので、その教室には僕以外にアジア人は見当たらない。孤独を感じそうなものだが、学校が始まることに対する興奮と期待感がそれを持つことを許さなかった。

 まばらに埋まる席。様子をざっと見て、自分の座る場所を吟味する。先生の側から見て左、入り口が近い前から三列目、右から二つ目の席。瞬時にそこがベストポジションだと見抜いた僕は、高鳴る鼓動を抑えながら歩みを進める。隣に座るのは女の子だった。ヒスパニック系の子で背が小さめなことは座っていてもわかった。「なんだか優しそう」。そう思ったのをよく覚えている。席に近づき目線が合う。いよいよこの瞬間がやってきた。第一声は決めていた。

「Hi! Can I sit here?」

「Sure!」

 「お隣いいですか?」作戦は無事成功した。いちいち聞かなくてもいいが、聞くことで誠実さをアピールできる上に、会話の糸口として何の違和感もない。我ながら見事な手腕だった。勝利の笑みを心中で浮かべながら席に着く。案の定その子もこちらに視線を送ったままだ。会話続行。GO!GO!GO!

「My name is Satoru. What is your name?」

 会話の主導権は握ったが、残念ながらこのまま僕が主体で話し続けるわけにはいかない。なんせそこまでの英語力は備わっていないのだ。僕が切れるカードは後、「Where are you from?」のみ。このカードを切った後は、相手に話させることでコミュニケーションをとるしかない。ゆえに慎重に、タイミングをうかがわなくてはならなかった。そんなことを考えている間に、彼女は名乗ってくれた。「Nice to meet you」を交わして、自己紹介を終える。

 その瞬間の彼女の顔は当時の僕に強い衝撃を与えることとなった。理由は、その表情に強い既視感があったからだ。それは例えば高校一年の春。新しい環境で友達もいない。不安と期待が入り混じる中で出会う見知らぬ人々。ぎこちない笑顔で緊張を隠しながら交わす挨拶。そんな場面で現れる何とも形容しがたい、不自然な、しかし悪意のない表情。それと全く同じものが彼女の顔面に張り付いていた。僕の中の固定観念が壊れる。

 アメリカ人だって同じ人間なんだ

 言葉が大げさかもしれないが、当時、僕は本当にそう思った。彼女のその表情を見るまで、僕はアメリカ人は皆フレンドリーで、だれとでも仲良くなれて、常に新しい出会いを求めているタイプだと信じていた。しかし目の前の彼女はどうだろうか。新しい環境で、周りに親しい友人はいなくて、新しい友人ができることを期待していて、でもできないかもしれないと不安で、なるべくいい印象を与えようとぎこちない笑顔を浮かべている。一緒だ。僕と一緒。僕が出会ってきた初対面の人たちと一緒だった。

 考えてみればそれはそうだろう。アメリカ人だからといってみんながみんな同じ性格なわけがない。大勢で、見知らぬ人すら巻き込んで騒ぐのが好きなタイプもいれば、僕のように親しい友人と少人数で過ごすのが好きなタイプがいても何らおかしくはない。そんな単純なことを、僕は彼女の表情を見るまで気がつかなかった。想像していたアメリカ人と違ってがっかりした?いや、そのむしろ逆だった。アメリカ人と仲良くなるには、新しく付き合い方を学ばなければいけないと思っていた。スキルというと大げさだが、今まで培ってきた日本人との交友関係の築き方がここでも通用すると感じて、僕は嬉しかった。ゼロからのスタートではない。英語力が足りなくても他でカバーできるとこの時確信した。

 とは言いながら、その子とはその後一切話すことはなく卒業した。たまにキャンパスで視線が合うと、笑顔で手を軽く振ったりしたが、ただそれだけだった。結局、英語力だけでなく、コミュニケーション能力も足りなかった。悔しいです。

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