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始まりは黒木あるじ氏の一言。——伝説探偵(その1)
また厄介な謎に出くわしてしまったものだ。
きっかけは2021年、怪談作家・黒木あるじ氏の講演を聴きに行った時だった。
山形県立図書館の主催ということで、黒木氏は館の蔵書に秘められた山形の怪談をいくつか披露していく。その際に紹介された1冊が、現在の私を悩ませているわけだ。
その本は『山形県伝説集』という。
さかのぼること昭和25年、ある高校の郷土研究部が、県内のあちこちに残る伝説を収集し始めた。その活動は上級生から下級生へと受け継がれ、11年後に書籍として完成する。記録された伝説は1,049編と膨大だ。
「この中に、いい怪談のネタがたくさんあるんです」
黒木氏は手にした分厚い本を開いて、その例を読み上げていく。短いが奇妙さあふれる物語は、確かに私の興味を引き付けた。多くの聴衆も同じだったに違いない。
『山形県伝説集』は部活動の成果という性質から、そもそもが非売品らしい。しかも出版が60年以上前なので、今は古書店でもめったに見つからないそうだ。
郷土資料としても貴重なこの本が、読まれる機会を失っているのは惜しい。黒木氏はそう語った。
「誰かが復刊してくれないかと思ってるんですが」
最後に付け加えられた一言が、私の中で呪いに似た効果を引き起こす。
——誰かが引き受けてくれたら助かるのに。
私はその状況に弱い。
例えば地区の集まり10人で班長を決めるとしよう。司会がまず立候補を募るが、たいていは皆がうつむいて身を固くしたままでいる。誰かが手を挙げるのを待ちながら、いずれ行われるだろうじゃんけんに負けぬよう祈っているに違いない。
その光景にむずむずする。
いい大人たちが責任から逃げようとしている姿がみじめだとか、皆をまとめる立場への憧れとか、さまざまな感情からだろう。しばしの沈黙の後、私は腿に置いた手を離すことになるのだ。
まあ結果として、会社が傾くほどの損害をこうむるとか、PTA役員会で鼻つまみ者になるとか、悪い方へ導かれる場合も多いのだけど。
参考:『くたばれPTA! 事件』Webラジオ「悩む人たち」より
https://open.spotify.com/episode/3nO7qpO4bPMfhxBj10v3sW?si=oUKZfek_T0eHaL5WgdVvrQ
黒木氏の講演が終わり、一様にマスクを着けた聴衆たちが会場を去ってゆく。
私は椅子から動かずにいた。
——私が復刊させよう。
ちょうど3作目『さよならデパート』の執筆中で、いずれそれを広く流通させるために本格的な出版社の立ち上げも計画している。黒木氏の希望を耳にした人間の中で、実現させられるのは私しか居ないはずだ。
黒木氏に寿司などごちそうになる想像をしながら席を立った。
「Amazon」や「日本の古本屋」の通販サイトで探してみるが、黒木氏の言った通り見つからない。なので図書館で『山形県伝説集』を借り、同時に復刊の方法を調べてみた。
——著作権者の許可を得る。
第一にこれだ。
では誰が著作権者に当たるのか。専門の機関に電話で尋ねてみると、伝説集の作成に関わった部員ということになるらしい。
それなら確か、と巻末の部員名簿をめくって寝込みそうになった。
記載されているのは、11年間分でおよそ150人だ。
この全員に、場合によってはご遺族に連絡を取らなければならないのか。
転居している人も居れば、苗字の変わった人も居るだろう。
運良く全員を見つけ出せたとして、もし私のようなへそ曲がりが一人でも「嫌だ」と答えたらおしまいだ。
そこまで考えた時には実際に寝込んでいたのだが、枕を直した瞬間にひらめきがよぎる。
——何か救済措置があるはずだ。
再び著作権の専門機関に電話をする。
2度目なのでこちらは「さっきの僕です」といった砕けた態度だが、向こうの担当者が先ほどと同じ人かはわからない。
それでも、悩みを打ち明けるとやはり別の方法を教えてくれた。
著作権者を見つけるのが困難な場合、その機関が代わりに復刊の許可をしてくれるそうだ。
何でそれを先に言わないのだろう。
喜びのあまり掛け布団を両足で跳ね飛ばしたが、話には続きがあった。
ただし「見つけるのが困難」という状況を証明する必要があるという。
まずは150人全員への連絡を試みる。名簿に記された住所へ訪ねるなり手紙を出すなりして、本人の在不在を確かめてくれとのことだ。見つからない人があった場合は「この本を復刊したいので、当時部員だった方は連絡をください」といった内容の広告をし、一定期間を過ぎても全員の返答がなければ、そこでやっと「見つけるのが困難」と判定されるらしい。
さらに許可の肩代わりにも出版物の価格や部数に応じた費用がかかるという。
考えてみればその通りだ。著作権はこれくらい厳重に守られるべきだろう。
希望と絶望の乱高下にぐったりして、私は飛んでいった掛け布団を首元まで引き戻した。
何だかひどく体が重い。ああ今、この瞬間、多分コロナにかかりました。
と思ったが健康な私は、医者にかかるといえば親知らずを4本根絶やしにされるくらいのまま、2022年4月、自ら立ち上げた「スコップ出版」から『さよならデパート』を、2024年12月には『色街アワー』を発売した。
その間、味わった挫折を忘れた日はない。
また、挫折したままでいいと考えた日もない。
だからここにアイデアがある。
——1,049の伝説が今も生きているのか、確かめに行こう。
その土地へ実際に足を運び、住んでいる人たちに話を聞いて、伝説の消息をつかむのだ。
忘れられているもの、内容の変化しているもの、さまざまだろう。その理由を探れば、山形という土地がより鮮明に見えてくるのではないか。
復刊はかなわなくても、受け継ぐことはできる。
私は決意を固めた。
ただし、あまりに数が多い。
これまで料理店も食品製造も法人設立も一人でやってきて、出版社も同様だ。
そうしたくてやってきたことだが、今回ばかりは仲間が必要だろう。
2024年10月25日、私はX(旧Twitter)を使い呼び掛ける。
【募集】
昭和30年代に山形県内で確認された1,000以上の伝説が、今も残っているのか、変化しているのか、検証して出版を考えています。
『山形県伝説集 令和版』
私ひとりじゃ手に負えないのでチームを組みたいのですが、加わりたいという方は連絡をください。
チーム名は「伝説探偵」です。
スマートフォンが普及し、誰もが手のひらにインターネットへの入り口を開設した。
「たまに連帯」という方法は、そんな現在だからこそ選び得るものだろう。
普段はそれぞれ独立して動きながら、組織として立ち向かうべき課題については手を取り合う。その組織の土壌は物質的な「職場」ではなく、共通の価値観や、互いの信頼だ。
離れていても、きっとチームは成り立つ。
ちなみに応募はゼロだった。
そういえば私という生き物は、人間関係を大変おろそかにしてきたのだ。
まあいい。
こういうことには慣れている。
1,049編、一人で塗りつぶそうじゃないか。
いつか黒木あるじ氏に寿司をごちそうになる際も、私一人だけなら「特上」を頼んでも怒られないはずだ。
というわけで旅に出る。
伝説探偵の誕生だ。
【新刊】『色街アワー』
戦後は東北随一の活況とも言われた山形県「赤湯温泉街」。
街を彩った芸者たちはなぜ消えたのか。
過酷な時代を生きた人々を描くノンフィクション。
『さよならデパート』
2020年に破綻した山形「大沼デパート」。
その誕生から終焉までを、いくつものインタビューと膨大な資料で追ったノンフィクション。