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消えた幽霊⑦【大江町小釿】——伝説探偵(その8)
これは推理というほどのものではないが、私に注目が集まったのが面白くなかったのだろう。
私もつい調子に乗ってしゃべり過ぎた。
老人は隣に座る白髪の男性になだめられながら、しばらくぶつぶつと出版業界や作家への不満めいたことをこぼし、間もなく金を払い席を立った。
「今日はずいぶん酔ってたな」
老人の背中を見送りながら、白髪の男性は穏やかに笑った。
「いつもはあんな飲み方する人じゃないんだけどな」
他の客たちも続く。
私に謝るのでなく、たまたま悪酔いをしたせいだということにするのが、どちらも傷つけない粋な配慮だなと感じた。
しばしこわばった店の雰囲気が元に戻ってゆく。その途端に再び戸が開いた。
入ってきたのは、さっきとは別の老人だった。髪は乱れ、足取りもふらついている。空いた席に座るのかと思いきや、そのまま手洗いへと消えていった。
「何だ、今日は便所だけ借りに来たのか」
客たちが笑い、女将もつられる。
あの老人も常連ということだろう。
「あの、もしかしたらね」
ふと私に声を掛けてきたのは、先ほどくだを巻く老人をなだめていた白髪の男性だった。
「どうして身の丈なのに『名木』と呼ばれているのかって謎があったでしょう」
場を取り持ちつつも、話を細かい所まで聞いてくれていたらしい。
私はついうれしくなって身を乗り出した。
「そもそも、由緒あるカヤの木の枝から育ったものだったとしたら……」
——挿し木か。
カヤの繁殖は「挿し木」という方法で行われるそうだ。
ごく簡単に言えば、親となる木から枝を切ってそれを土に挿し、根が生えるのを待つ。そういうやり方だ。
——小釿のカヤは「名木」の枝として育った。
だとすれば、まだ身の丈の高さだとしても由緒あるものとして扱われるだろう。
男性は続ける。
「集落の子どもたちがほれ、周りで遊んで折ったりするといけないから」
それで大人たちは「幽霊が出るぞ」と脅かした。
一瞬にして、私の視界には遠い昔の小釿集落が描かれる。
カヤのそばで追いかけっこをする子どもたちと、それをどやす大人たちが、酒と手を組んで私の涙腺を緩ませた。
「それは、素晴らしい推理だと思います」
私はできる限り目を大きく開いて、白髪の男性に礼を言った。
他の客たちもその説に納得したようで、達成感を漂わせながら杯を傾ける。
男性は「いや、そうかな」と照れて、やはり酒に口を付けた。
ふと時計に目をやった。電車の時間まではまだ余裕がある。
それをうれしいと思えるほど、心地よい場だった。
「でも、今の人たちは誰も幽霊のこと知らないんだもんな」
最初はとげとげしかった中年の男性も、すっかり親しげに話してくれるようになっていた。
「持ち主も聞いたことがないそうです」
「それってあの人だべ? あの人が知らないんじゃ、他は居ないだろうな」
「だいぶ昔、江戸時代には途絶えてしまった言い伝えかもしれませんね」
「樹齢1500年だとしたら、なくなったのはもっと前かもな」
そこで音がした。
ふらふらの老人が、手洗いから出てきたようだ。
私は本当にそのまま帰るのかと思ったが、さっきのはやはり冗談だったようで、老人はカウンターの私から一番遠い席に座った。
白髪の男性が気を回して、今の話題を簡潔にまとめて説明する。
老人は聞こえていないと思えるほどうつろな表情で、背中を丸めていた。
「昔は、幽霊が出るなんて言われてたみたいでね」
白髪の男性がそこまで話した時、老人は「おう」と低い声を発した。
「そうだよ」
呂律の怪しいその一言をきっかけに、束の間、店を静寂が横切る。
「オレらの小さいころは、親からそう教えられたもんだ」
——え?
心の声は、そのまま音になった。
(続く)
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