プレキシ、謎めいたまま[51]

「後悔しているの?」とウイは僕に聞いた。「後悔なんてしちゃだめだよ。後悔っていうのは、ーーピュアに気持ちの問題だからね。自分の決めたことでどんな結果になったとしても、……後悔はしちゃだめ。どんなことだって賭けなんだから。賭けに負けたからって、後悔なんてしないの。現実逃避じゃなくて、ーー後悔は、ほんとうに気持ちの問題なんだから」

 僕は後悔していたというよりも、今、自分の身に起こったことが、上手く理解できなかったのだった。そしてそれがどういう結果をもたらすものなのか、ーーつまり、《意味がわからなかった》。ヒルは死んでしまった。僕はウイと再会した。国道沿いのサークル・K・サンクスで、ウイは看板の下にうずくまってスマートフォンをいじっていた。彼女らしいことだと思った、ーー僕は、踵を返してきた道を帰ろうかとも思ったが、眠っている動物を起こさないように、彼女の前を気づかれずに通れないか試してみたくなった。彼女はスマートフォンからずっと目をはなさなかった、ーー僕は駐車場の街灯がもう照らさない位置まできてから、振り返った。彼女は立ち上がって、こちらをじっと見ていた。それで僕たちは、はじめてあったとき二人で過ごした十時間のあいだに起きたことすべてが、たぶん、たがいに、もう無視することのできないものになっているらしいことを理解した。

 ヒルの死の前の十時間の間に僕とウイとの間に起こったさまざまな出来事は、全ての理解を拒んでいた。僕はどうしてウイが、僕のあらゆる申し出をひとつも断らなかったのかわからなかった。「君の顔が気に入ったんだよ」とウイは言った。でもそれは、僕の質問を体よくかわすための、雨樋に似た水繰りにすぎないように思われた。彼女が本当に気に入っていたものは、多分僕でも、僕に属することでもなく、……それはたとえば、ヒルという女があと何時間何分で死ぬという予告を、僕と共有していたという特殊な境遇だった。

 ウイは彼女の名前を漢字で〈初〉と書いて、それは彼女が、彼女の両親にとって、初めての子供だったからだった。ウイは僕に薬瓶をまるごとなげてよこした。プラスチックの器にビニル包装ごと包まれた白い錠剤。「痛みには機械的に対処していかないと」アスピリン。僕はそれを嫌がった。「なんで?」「空腹のときに飲むなって書いてある。胃に穴が開くんだよ」「いいじゃん。漱石みたいで」

 夏目漱石はイギリスに留学して、神経を病んで帰ってきた、……留学中彼は神経症的な熱意でノートを書き溜めて、帰朝してからそれを『文学論』という題名にまとめた。彼は、文学は〈F+f〉であると書いた。文学は、事実Factと情感feelingから成り立つ……作品世界で起こる連続的事実としての内容と、読者にある種の情感を引き起こす比喩技術としての形式によって、できている。そのうち、Factには全てで四つあると論じているが、そのうちで彼がもっとも重要であると考えたのは〈本能的F〉すなわち、死と性Death and Sexである。人間の本能に深くねざすこのふたつの要素への興味は、強い普遍性を持って、古来幅広く読者を獲得してきたのであり、おそらく人がその本能のあり方を変えない限り、永遠に文学の中心的主題に存在し続けるよう、定められている。

「僕をばかにしてる」
「なんで? かっこいいじゃん。小説家先生」
 それで、彼女が本当に僕を馬鹿にしているらしいことがわかった。
「私のことも書くの?」
「書かないよ」
「なんで? 書いたらいいじゃん。きっと面白いのに」
 何を書くかということは、自分で選ぶことのできないものだったが、この確信を表現するための言葉に心当たりがなかった。で、僕はなにか答えるかわりに彼女がくれたアスピリンを2錠、水もつかわないで飲んだ。
「ああ、それは体に悪いねえ。ほんとに胃に穴が開いちゃうな」
 とウイは言うと、僕からアスピリンの瓶をとりあげてラベルをしげしげと眺め、再びシーツの上に放ると、ベッドをでて服も着ないままキッチンに行ってその影から大きなコップになみなみ注いだ水とリンゴとキャラメルクッキーを持ってきて僕にくれた。僕は水を一息に飲んでから、リンゴにかじりついた。ウイはキャラメルクッキーを不器用に食べてかけらをシーツにこぼしながら、スマートフォンでYouTubeを見ていた。
「いつになったらよんでくれるの?」
「え?」
「僕の本」
「いやあ、なかなかいそがしくてさあ」
「本気じゃないんだな」

 そう言いながら、僕は別に本当にウイに自分の作品を読んで欲しいと思っているのではなかった。たぶん、ウイは僕のことなど別にどうでもよかったに違いなかったが、僕の顔をどこかで見たことがあって、僕の名前をグーグルで調べたら僕のとった新人賞のページに自分の目の前にいる男が載っているという現実は、少なからずアトラクティブだっただろう、ーーそれで僕は、そういうタイプの興味が、シーツをキャラメルクッキーのかけらで汚す類の結果のほかに、現実の読書に結びつく場合があるのか興味があってときどき水を向けてみて、そうならないことに、理解しがたい、しかし見慣れた、人間の習いの存在を感じるのだった、ーー「治った?」とウイは聞いた。「あたま」「そんなすぐきくわけないじゃん」「ばっか。のんだそばから効くのが本当の薬ってもんなの」それはそうかもしれなかった。

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