プレキシ、謎めいたまま[1]
祖母が僕に禁止したことは二つある。
ひとつは、芸能人になることだった。僕は子供時代のほとんどを祖母の家で過ごしたが、それは信じられないほど退屈で、陰鬱な経験だった。祖母の家は田舎の、その地区では一番の大きな家だったけれど、僕はその角部屋に祖母と一緒に閉じ込められていて、本もおもちゃもなくて、気晴らしと言えば、そろばんを車にみたてて畳の上でがりがり転がしてみるとか(すぐ止まってしまうのだが)、あるいは窓の下で鳴き声をあげている皮膚病の黒猫に鮭の皮をやってやるとかそういうことしかなかった、……祖母には、もちろんほかにも楽しみはあって、焼いたにんにくを食べて滋養をつけるとか、買い溜めてあった雑誌を切り抜いてソートし、スクラップ帳に並べ直すとか、……いま考えれば、彼女もそれほど楽しくなかったかもしれない。部屋の角に四角体のまるっこいテレビが置いてあって、画面はワイド・ショーと『水戸黄門』を無限に行き来していたが、相次ぐテレビタレントの不倫や不祥事と、永遠に繰り返される勧善懲悪のストーリーの有限のパターンのどちらが彼女にそうさせたのか知らない、彼女は僕に向かって突然、「いいか、お前は芸能人だけにはなるんじゃねえぞ」と言った。僕は、小さい頃から、芸能人なんてなろうとしてなれるものでもなし、そんな運命が僕に待ち受けているとも思わなかったから、「わかったよ」と言って、それで約束は成立した。
二つ目は、バイクには乗らないということで、これは僕の祖父(つまり、彼女の夫)がバイクに乗っているとき車にぶつけられて死んだからだった。彼は僕が生まれる三年前に死んだ。僕は、彼にとって、初めての男の孫だったから、もし彼が生きていたら僕が生まれたのはとくによろこんだだろうと、いつも聞かされた。彼はこの地区で一番立派な男だったが(具体的な意味は僕にはわからなかったが、ともかくやはりそういうことらしい。何かの組のなんらかの長のような地位にあったとのことだ)、バイクで会合に向かう途中、後ろから車に轢き殺された。運転していたのは歳を四十までまだ数えないくらいの女で、その夫が助手席に乗っていた。普段は夫が運転しているのだが、なにか気まぐれか、偶然か、ともかく受け入れ難い運命の運びがあって、その日は慣れない女の手のうちにその鉄車のハンドルが収まっていた。祖母は、どうしてその日に限って女の方が運転していたんだろうという問いに答えがないので、すべてバイクのせいにしてそれを僕の上に(期待されていた男の孫、彼の後継者である僕に)持ってきた。「バイクにだけは乗るんじゃねえぞ」と彼女は僕に言った。本当は僕ではなく、夫に言っておきたかったことを、もし夫が生きていれば特別喜ばれたであろう男の孫裔に、言い聞かせるようにして。僕は、……多分約束したのだろう。少なくとも僕は今まで一度もバイクに乗ったことはない。……子供の頃、バイクに乗って祖母に会いにきた男の人がいた。僕は単純に子供らしい好奇心から、バイクに近づいて行って手を伸ばした。すると祖母は僕に向かって、マフラーが熱くなっているから触らないように、と言った。
ヒルが死んでしまったのが、彼女が〈芸能人〉になって、かつまたバイクにまで乗ったからなのか、僕には正しいところはわからない。一見何の関係もないように思えるが、ちゃんと調べたわけではないから。……ヒルと僕が呼ぶ女の子は、あの吸血生物とは全然関係がなくて、彼女の本名に由来する昔からのあだ名であって、そういう意味ではあの特殊能力持ちのなめくじではなくて、〈昼と夜〉のヒルから連想されている。彼女の本当の名前のなかに、〈ヒル〉という音の連続はない……。でも僕はどうして彼女がヒルと呼ばれるようになったのか知っていて、彼女をヒルと呼ぶとき、いつでも、その遠い過去の出来事が僕とヒルとの間の絆として呼び起こされるような気がして嬉しかった。それに彼女は堕落してから自分の本名で〈芸能活動〉をしていたので、彼女が堕落したのが気に食わなかったから僕は「ヒル」と彼女を呼び続けてそれに冷たい皮肉の意味を込めていた。彼女は死ぬすこし前から、まるで蛭みたいに私のことを呼ぶのはもうやめて、と言っていた。
僕は全部で彼女に四回告白して、一回目と二回目はその場で袖にされ、三回目は三日間だけ恋人になれたがすぐ振られ、四回目は返事を待っている間に彼女が死んでしまった。彼女が死んだのは(もし祖母の警告が彼女の死ともなんらかの関係を持っているなら)Youtubeのライブ配信でPUBGをプレイして、バイク縛りで〈ドン勝〉を二回決めてからぴったり十時間後のことだった。最終局面で最後の一人をバイクで轢き殺したとき、彼女のチャット欄には夥しい数の赤スパが流れていたが、その十時間後には彼女の華奢な体に赤い血の循環は全く失われていたのだった。
[続く]
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