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精神障碍 の 義務
<精神障碍者の義務>
精神障碍
寛解
↓
環境が変わる
↓
再燃
↓
リファー うける
↓
精神科 くすり 診察 カウンセリング
↓
ジカンをかけて、環境に慣れてゆく
↓
徐々に くすり 診察 カウンセリング が必要なくなってゆく
↓
寛解
↓
環境がかわる
くりかえし
ポイントは、寛解時 それが何年もつづくこともある に 周囲のひとはたいてい
ふつうのひと
あつかいしてくる。
この時期に、周囲のひとは いろいろと持たせようとしてくる 。
こんな重圧も、あんな重圧も。
かつ
そのひとの 寛解をたもてている『理由』の部分を 折ってくる盗ってくるはずそうとしてくる
精神障碍 を 理解できないひとは なっているorなおっている
の二種類しかないと考える。
寛解 は
・ジカンをかけて、環境になれた
・寛解にするための、なんらかの工夫を複数している
・くすりを使う 診察をうける カウンセリング などを経てきた
・あまり がんばらない を じっこう
など
そういったことに支えられて、 症状がでていない状況 を''つくりだしている''。
症状がでている状態が ふつう であり
とある工夫を複数重ねていることで、寛解状態を わざわざつくりだしたもっている。
精神障碍 を理解できないひとは、そのひとの 寛解状態 がながくつづいてくると
このひとはもうふつうのひとだ
と誤認してしまう。
そのことにより、あらゆる 重圧 をかけはじめて、がんばらせてくる。
また、そのひとが 寛解状態 をたもてている、 理由 の部分を キャンセル させようとしてきたりもする。
精神障碍をもつ 者 は、 どうしていまジブンは寛解状態をたもつことができているのか
ジブンがしている 工夫を リストアップしてみて
うすい魔法
も
すべて含めて キャンセルしない を徹底しなければならない。
寛解状態は 寛解状態をたもつための ありとあらゆる工夫 によって
支えられている。
とっても非常に あやうい 状態。
おこなっている工夫 は、 よわい魔法だろうがすべてなにもかも
おこなうのをやめては ならない 。
よわかろうが、塵も積もれば山となる である。
寛解状態 とは 山 である。
さまざまな、大なり小なり さまざまな種類 の工夫を 積み重ねてできあがった
貴重な山
である。
山のてっぺんに立つ、そんなあやうい存在 それが あなた【寛解状態をたもてているあなた】
である。
ふつうのひと
は
そこらへん な~んにも ひとっつも ぜんっぜん 理解していないうえで
じゃんじゃかと 重荷 を背負わせてくるので
山くずし をしてくるので 注意である。
わたしは、椅子 を思い浮かべている。
四つの脚をもつ いす 。
わたしの寛解状態を保ってくれていたのは
・風をあびる
・日光をあびる 一日15分以上
・朝早起き
・適度な運動 じてんしゃか歩き30分以上
・繰り返し運動
であった。
その 弱い魔法 たちによって、塵も積もれば山となる でわたしの寛解 は保たれていたのだ。
そこに、
精神障碍のことなんて な~んにもしらない ぜんっぜんしらない ひとが
わたしに
・運転免許証を取るように
と説得しようとしてきた。
それが
精神障碍のことなんて な~んにもしらない 健常者 たちは
精神障碍をもつひとの 寛解状態 をみて
あぁ だいじょうぶだ
と誤認し
・重荷をもたせてくる
の法則である。
このことにより
・重荷を持たせてくる
・寛解状態を支えている脚を折ってくる
このふたつが、同時におこなわれた。
運転免許証、というのは いのちを直接にあつかう行為である。
事故したらだれかを殺すことになる。
事故されたら、じぶんがおもっていたよりも早くに亡くなり両親が悲しむこととなる。
リスクが高い行為。
重い
。
すでに生活をこのまま進行させてゆくだけで 精いっぱい なのに
重荷を、もたせてくるのである
それが
健常者の特徴
と言える。
また、
じどうしゃ
を運転するようになることにより
・じてんしゃを漕ぐ機会が激減する
こととなる。
これは
・風を浴びる
・日光を浴びる 一日15分以上
・朝早起きする
・適度な運動をする 一日30分以上
・繰り返し運動をする
これらの5つの わたしが寛解状態を保つことができている理由 の脚 たちを
すべていっぺんに 折る ということになる。
そう
彼のしたことは 健常者がよくやる 典型的なことだったのである
・重荷を持たせてくる
・寛解状態を支えている脚を折ってくる
その寛解状態のなかにおいて、わたしは 4つの脚のついている椅子 に 立っていた。
その状態で精いっぱいだった
ぎりぎりだった。
その椅子はあまり 頑丈 とは言えなかったので。
そのわたしに対して
・さらなる重荷をもたせてくる
という行為は もう それだけで 危険である。
椅子の脚 が折れて 寛解状態が ほろびる 可能性がある。
椅子の 耐久性 を 越えた重さになると、椅子の脚は 折れてしまう 毀れてしまう。
それだけでも、かなり あぶない のに。
そこにさらに
・寛解状態を支えている脚 を 折ってくる
という行為も重なってくる。
そう。
もはや、椅子の脚 をちょくに '''折ってくる'''! のである。
おどろきだ。
しかし、相手の健常者は わたしがいまなぜこのような寛解状態をたもてているのか
を 知らない ので
わたしが 椅子のうえ に 立っている ということに 気づかない。
その椅子の脚 が なにでできているのか も 知らない。
ので、
椅子の脚 を 折ってくる。
思いもよらずに
なにもしらずに
意図せずに
・椅子の脚を折ってくる
・重荷をのせてくる
このふたつによって、 さて 晴れて その寛解をたもつことができていた精神障碍者は
症状が出まくりの状況へと まっさかさま なのである。
しかも 相手の健常者は なにも気づいていない 。
このようなことは ほんとうに よくあること なので、
こころしていないといけない。
この世に健常者 が いる限り。
精神障碍者 は 油断できない のである。
・脚を折ってくる
・重荷をのせてくる
このふたつは、相手が無意識に 善意で おこなってくるので。
注意が必要だ。
相手には 脚 が見えていない。
・脚をおってくる
相手には その状態が寛解 と 理解できない。
・重荷をのせてくる
相手は 無意識に 善意で よかれと思って それらをやってくる。
相手は 精神障碍と寛解 病気と完治 について、区別がつかず。
相手は わたし が どのような工夫によってその状態を保っているのか を みえない。
だから
善意と 無知 と 無意識と 無自覚 で 罪を犯してくる。
相手を 犯罪者 にさせないためにも
精神障碍者は
・脚を折ってくる
・重荷をもたせてくる
を
じぶんに させない
が必要だ。
じぶんがふこうにならないために
あいてを犯罪者にさせないためにi
それが 知識 と 愛 である。