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化けの皮が剥がれてからが〇〇

自分の化けの皮が剥がれた。

そんな昨日だった。


特別な出来事はなにもなかった。


朝の電車の中で。夫との夜の会話の中で。一人デスクに向かって。

気づきの瞬間は、平凡な日常を送っている中でふいに訪れるものだと知った。


人生、もうすぐ35年目。

自分のことは、これほどまでに知らないものか。


わたしは、カウンセラー職である。

こころの知識は、少しはある。人の話を聞いて、意見を伝えることもある。

これは職業柄かもしれないが、一応毎日、こころのこと、人生や生き方について思考を巡らせている。


これって、どうなんだろう。

みんな、そんなに普通のテンションで、水のむ感覚で

「どう生きるか」とか考えてないのだろうか?

「じぶんにとっての幸せとは?」とか考えてないのだろうか?

(いや、考えてると思いたい。

考えてても、外に出してないだけかもしれないと思っておこう)


話を戻す。

これだけ考えていると、つい「じぶん」を知った気になってしまう。

これ、要注意。

あのね、いつまで経っても、「じぶん」のことで驚けるよ。


つい先日まで、「じぶんってこうだよね!」と思って、

「これこれしたいです!」って言ってたことが、


もう一段こころの奥まで潜れたときに見えてくるのは・・・


「ほんとは全然興味ねー!いい子ぶってたー!」


とか、そんな本音。


わたしが直近で気づいたことを言うと。

以前はこんなことを言ってたわけ。


「自分は前に立つの好きじゃなくて、人のサポートをしたいんですよね」

「輝いている人のサポート役が、じぶんが輝けるポジションだと思う」


そもそもこれに気づく前もさ、人生そんなにうまくいってる感じなくて「じぶん」を模索してたから、この気づきもすごい衝撃だったのよ。


そうすると、「じぶんってこうなんだ!」って思い込んでしまうよね。

その衝撃が大きければ大きいほど、その傾向ってあるんじゃないかな?


当時はこの気づきもとても嬉しかったし、道がみえて、人生が進む気がした。それで、この気づきをシェアして、人とのかかわり方とか働き方を「人のサポートが好きな人」の体で変化させてきたわけだけど・・・


(/o\)


困ったことに、全然しっくりこない。笑

というか、人のサポートがめちゃくちゃ下手。笑

というか、そもそも人のサポート興味ねぇーーー。笑笑


しばらく「人のサポートが好き」な人として生きていて、いよいよキツイよ、やる気でないよってなって(1年以上・・・)、

ようやく薄情できたって感じですね。


もちろん、以前の私の思考で行動してたから今旦那と出会えたし、その段階ではわたしにとって必要なことだった。必要なステップだったと思ってる。

でも、やっぱりそれは本音じゃなくて、

「人のサポートしたいって言ったらよく思われるな」

「いい人に思われるな」

「じぶんが前に出なくても済むな」

など、社会的に求められる姿とか、自分の腹黒い欲求が、

マーブル模様のようにからみついた表面上の言葉だったのですね・・・。


きゃーーーーー(/o\)


ほんと、目を、耳を、覆いたくなる恥ずかしさ。


今の旦那と生きてみて、旦那とたくさん話すことで、

一枚一枚、化けの皮が剥がれている。

毎日、剥がれている。


何回言われても、新しい「じぶん」が受け入れられないときもあるし、

ほんとのほんとに、気づくことができない時期もある。


でも、その化けの皮が剥がれた「じぶん」を、

まずは旦那が認めてくれて、

時間をかけて、自分も少しずつ認められるようになって。


たぶん、今2年くらい、そんな日々を送っていって思うのは、


化けの皮が剥がれてからが本番。

こっからがおもしろいぞ。

そんな気持ち。


P.S まだまだ、まだまだ剥がれていくと思います。笑

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