宇多田ヒカルが教えてくれたこと
SONGSの宇多田ヒカル特集を観ました。
いやぁ~。良かったです。
宇多田ヒカルって、たしか私が小学生か中学生のときに鮮烈デビューして、そこから唯一無二な感じで、ずっと存在していたように思います。
ただ、私は、歌はよく流れているから知っているけど、その世界観とか、歌詞を味わうとかは、してこなかったんです。
流行りものに乗っかる形で、そのメッセージは右から左に流れていた。
それが三十路を過ぎたいま、改めて曲を味わうと、激しく心揺さぶられる思いがしています。
*
SONGSでは、歌と合わせて、又吉さん等との対談にて歌にかける想いを語ってくれました。
番組では、幼少期からの家庭環境について語る場面も多く、変わらぬ安定した世界を求めていた、という気持ちも言葉にされていました。
自分自身が何を受け取っていて、何に影響を受けていて、いま自分はこう思っているのだ
ということが、その時々の歌に、大切に込められていたのだということが伝わってきました。
そしてそれは、一人一人の心を深く潜っていくと、
共通して存在しているような部類の、深い深いメッセージなので、
自分では上手く言葉にできなかったり、無自覚であったとしても、何か心に引っかかり、訳もなく泣けてくるような、
そんな体験をするのだろう、と思いました。
*
また、なにより心に残っているのは、
人生における『喪失』、を何より大切なテーマとして扱ってきた
と仰っていたことです。
『人生における喪失体験』
これ以上の体験、人生の学びは、ないのではないか・・・と言うのです。
これは、ひとつの真理だろうと思います。
私は人生30年ちょっとですが、自分のこれまでを振り返りましても、人生のターニングポイントは、「喪失体験」にありました。
・大切に大切に思っていたペット(犬)との別れ
・人生を共にできないかと模索した彼との別れ
今までのところ、この2つが、自分を深く落ち込ませ、深い自己との対話に導くきっかけを与えてくれたと思っています。
これらの喪失体験には、すごい経験をさせてもらいました。
当時はきつすぎて逃げ出したかったですけどね(逃げ回ったときもあったな)。
そのとき、自分がやり切ったと思えるところまで、自然と浮上できるまで悩み抜けて、良かったと思っています。
私のイメージでは、苦しい時期は、深い穴ポコに落ちちゃった感じがしてました。
その暗~い穴の中で、たくさん泣いて、怒って、悲しんで、感情を味わいつくした感じがしています(これがまぁきついんですがね)。
自分と向き合うって、たぶん、向き合い始めた当初は、不安でしかないと思います。
だって、この深い穴から、暗いトンネルから、抜け出せる保障なんてないから。
なんか、その最中は、一生出られないんじゃないかっていう、未来のシナリオが濃厚になるから。
出口の訪れがまったく予測できない中で、もがくこの苦しさったらないですよ。
だから、人は、自分の生命を守るために、途中でかりそめの浮上を選択することもあるし、かりそめの浮上ができることが大切なんだとも思います。
自分がどんな風に自分の中にもぐって、どのように浮上していくのか・・・
そこに、その人らしさ、があらわれるのかなぁと思っています。
きっと、宇多田ヒカルさんは、どこまでも自分に深く潜って、自分の内側を味わいつくすことをしてきた人なのでしょう。
そして自分が感じ取ってメッセージを、自分のために音楽という形にし、いつしかその音楽によって、人と、社会とつながっていかれた。
今では、自分のため(だけ)ではなく、大切な相手のために音楽を届ける生き方を選択するようになっていらっしゃのかなぁ、と
色々と思い馳せていたらなんだか胸が熱くなってきました。
*
最近の曲は、より一層いいですね。
いま特に好きな曲はこれらです。
「あなた」
「光」
「真夏の通り雨」
「FINAL DISTANCE」
「花束を君に」
外でも家でもリピートして聴いています。
口ずさみながら涙が浮かぶ・・・
そんな自分も味わいながら、とても良い時間が過ごせています。
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