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4ケロ目🐸ケロ吉とは…の巻③

おはこんばんにちは!!!
ケロ吉ですー🐸

少し日にちがあいてしまいました・・・
前回はとんとん拍子で正社員になった話や、
少々プライベートなお話を書いていきました。

今回は私の仕事の1つである、「企業在籍型ジョブコーチ」になるまでの話をします。

ではでは、

あれは2016年5月頃だったかな。
「ケロ吉さんの備品現場に障がい者スタッフを入れたいなと思うんだけど」
そう話をしてきたのは当時、事務と兼務でジョブコーチをしていた40代の女性。
みーさんと呼ぶとします。

そう伝えられた時の気持ちは、「やった!」であった。
何故かというと、正社員になる前に、
「今の仕事量で社員となると少々仕事が薄いな。もうちょっと会社に還元できる事ないかな」と感じ、
「あ、そういえばここ障がい者の子が働いてる。携わる事できるかな。」
と考えた事があった。

その際、面接をしてくれたストリート系の先輩に相談をしてみた。
すると・・・
「良いと思う。良いとは思うけど、難しいんちゃうか。備品什器の現場をみながら、障がい者スタッフをみるのは」
と難色を示した。

その時の私は「やってみないと分からん」という気持ちであった。

話を戻そう。

みーさんがそう話をしてくれて、
私は「是非!!!みーさんの様にできるか分からないですが、やってみたいです!」
こりゃまたとんとん拍子で話がすすみ、
私の現場に2週間という期間で、実習生2名に来てもらった。

知的障がい、発達障がいの2名。
現在も働いてもらっている。

この2名が私の障がい者雇用をスタートさせてくれた。

少し話が脱線しますが、そもそも何故、私の現場だったのか。
それは恐らく、私の妹がダウン症だった事、
その為、小さい頃から障がいのある子と接していたので、周りの人に比べると、自然に接する事ができたからかな・・・と思う。

知らんけど。(大阪人の口癖)

私には、姉と妹がいる。3姉妹である。
間に挟まれたケロ吉は、3姉妹の中では非常に厄介な娘であったと自負しております。
父上、母上、ごめんね。
大学1回生が終わる頃に、私の学費がきっかけで両親は離婚した。
他にも理由はあったのだと思うけど、大きなきっかけだったと思う。
指定校推薦で入った私学の大学。
学費が高すぎた。
結局、奨学金と言う名の借金を背負うことになる。
当時は大学へ進学した事を非常に後悔した。
まぁ紆余曲折、酸いも甘いも経験して、
「あーーー無理ーーー!!!しんどいってーーー!!!もーなんなんよー!!!」
と叫ぶ日々でしたが、それも経験の1つとして悪くはなかったなと思っています。
「あの経験も、この経験も自分にとっては必要だった」と。
その中には妹の存在はでかかった。
妹のお陰で、私は今の仕事ができているし、
その妹を育てた母上の教育が良かったから、今の私がこうして働けていると思う。

ドンドン話がずれている・・・

何せ、「やってみたい!」が叶ったのだった。
嬉しくて、楽しくて仕方がなかった。

ただ、現在までに色んな事があった。
心がポッキリ折れて、毎日泣いてばかりの時期もあった。
それでも、ジョブコーチという仕事は辞めたくなかったし、
兼務の備品什器の仕事も辞めたくなかった。

ここまで、私の自己紹介のつもりでしたが、
ざっくりまとめると、
★比較的好奇心旺盛
★泣き虫
★喜怒哀楽激しい
★妹が大好き
★色んな事に感情移入して疲れやすい

今後の記事でどんな人間なのかを見ていってもらえればと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます🐸


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