東京オリンピックなんてやってる場合か?(呑気な日本人たち)
今回のテーマは2020年の東京オリンピックだ。
簡潔に述べると、「何がオリンピックだ。ふざけてんのか」と僕は言いたい。
3月20日に聖火がギリシャから宮城県に到着したことはニュースで見た人も多いだろう。
NHKのニュース内のVTRには宮城で2011年の東日本大震災で被災したと思われる高齢女性が感激しつつ、インタビューに応じていたのも個人的には印象的だった。
当然聖火を見ようと地元の人々、さらには熱心なオリンピックマニア(?)が宮城県内での聖火セレモニーの類に群がった。
しかも、コロナウィルスの感染者が日本国内で日に日に増えている最中で。
会場にはアルコール消毒も置かれていたらしい(NHKのニュース中のVTRで確認)のだが、そんなものは気休め程度にしかならない。そこにいた全員が必ずしもマスクを着用していた訳ではないだろうし、くしゃみや咳、さらには唾等で感染するリスクだってあった。
そんな中、聖火セレモニーやらが行われていたのである。戦慄が走る。
そして、聖火リレーが今行われていると言うことは「予定どおりオリンピックは開催します」と言っているようなものだ。しかしIOCのバッハ会長は「別のシナリオも用意してある」と最近言っていた。その前は一切延期等に関しては黙秘を続けていた。IOCもやっと事の重大さに気づいたのかもしれない(と思いたい)。
コロナウィルスが蔓延する中、当然オリンピックに「出る側」からも反発は出ている。
実際、各国の水泳界、陸上界などから延期を求める声が上がっている。
国によっては外出も控えなければならない状況にあって、選手たちの練習拠点も閉鎖されている中、選手たちの練習ができない。それでも本当にオリンピックを開催するのだろうか?下手したら選手たちが出場をボイコットするのではないかと僕は思う。
「アスリートファースト」の概念は一体どこへ消えたのだろう。
選手あってこそのオリンピックであるべきはずなのに、オリンピック中継の視聴率、ホテル産業、雇用増加などによる経済効果に重きを乗せた「バブル製造機」へと変貌を遂げたくだらないイベントになった。
その経済効果を得ようとなんとしてでも予定どおりオリンピックを開催したい日本。他にやるべきことはまだあるはずなのに。
今回の五輪では「復興五輪」と題して東日本大震災から復興を遂げた東北・日本をアピールしようという狙いがある。
前述した聖火リレーも東北を廻り、原発事故のあった福島県内もそのルートに含まれている。
ところが、震災から9年たった今でも「復興」とは程遠い地域も存在する。それが福島だ。
浪江・双葉・富岡の大部分がいまだに帰還困難区域である。そのうちのほんのわずかに除染された部分を聖火リレーで走ることになっている。
どこが復興だ。国民に間違った印象を植え付けるのもいい加減にしてほしい。
オリンピックなんてやっている場合じゃないだろう。「いい加減目覚めなさい」