大学4年間をさっさと振り返ってみる

大学を卒業した。そこで大学四年間をさっさと振り返ってみる。なぜさっさと振り返るんだ?ゆっくり振り返ればいいんじゃないかと思う人がいるかもしれないが、僕にとって大学生活は振り返りたくない過去の一つであるからさっさと振り返って終わりとしたい。けれど、その中で生み出してきたモノ、失ってきたものを、印としてここに記しておくべきなのではないかと考えたのである。僕の4年間など他の人からすれば1週間程度のものだろう。それは決して1週間に感じるくらい短かったというわけではなく、圧縮すれば一週間程度で収まってしまうという意味である。なんなら週末にはネットフリックスを見ながらマイクポップコーンを食べる余裕すらあるくらいだ。まず自分のことについて話す前に言っておきたいことがある。この大学生活を過ごす上で色んな人間と良くも悪くも関わらなければならなかった。それは助けになることであったし、あるいは苦しい思いをすることでもあった。しかしながら僕に興味を持ってくれたり、話しかけてくれたり、一緒にご飯を食べてくれた人がいて、その人達には感謝してもしきれない。まだ友達という定義がどこなのかハッキリとしていないから具体的な名前を挙げるのは難しいが、僕が大学を卒業できたのはその人たちのおかげであると断言できる。というのも僕は大学2年の頃からずっと辞めることを考えていた。結局辞める勇気すらなくてダラダラと続けてしまったのだけれど、少なからず人間との関係の中で僕を繋ぎ止めたものがあったのは違いあるまい。ただそれとは別にして、大学の空気感、臭いに対しては心底嫌気がさしていた。吐きそうになったけれど何も吐けないから変わりに言葉を吐いてみたら、それは全て嘘に変わっていくような気がした。その当時、僕は本気で死に向き合ってみることにした。死にたいと思ったのだ。こんなことは本来書くべきではない事はわかっている。なぜならそれは強い力を持ちすぎた言葉だから書いてしまうとくだらない言葉に思えてきてしまうからだ。ただその当時の僕は本気で死にたかったのだ。なぜ死にたいのか死ぬとはなんなのかと考えた程だった。もう少し楽観的な死(存在の消滅だけを望んだモノ)であった場合には、おそらくただぼんやりと死にたいとしか思わないのだが、その頃の僕はもうひとつ先まで進んでいたような気がする。ただそれを自分で把握することもできなかったから、なにか文章にしてみようと書くことを始めた。そのときスタバのコーヒーカップにメーセージが書かれているのを見て、ここに書いてたら面白いことはなにかな?と思ってふと「おっぱいなんて見たくないこの愛のゆくえも」と書いてみた。無意識と意識の狭間のような場所で生まれた文に僕自身が強烈に惹かれて、それをそのままタイトルにして小説を書いてみようと思った。それがたまたま歌舞伎町文学賞という賞をとった。それはどこの誰が主催しているのか誰が審査しているのかよく分からない奇妙な賞ではあったのだが、その小さな賞が僕にはすごく嬉しかったのだ。存在意義を認めてもらえたとまではいかないが、それがきっかけとなり、まだ生きてみる価値はあるのではないかと考えるようになったのだ。それからきっかけこそ忘れたがコラージュを始めた。コラージュを始めてインスタに載せるようになってから色んな人に見てもらえるようになった。それは大学の暇のおかげで生み出したモノであるからそのことについては大学に感謝したい。そうして4年間が過ぎていったわけだが結局、手元に残っているのは後悔と優しい顔してボディーばっかり狙ってくる400万の奨学金だけである。それ以外何もない。これから先もどうなるか分からない。ただ創作活動を始めるようになってから、それが孤独に対する抵抗なのか承認欲の現れなのか分からないが、何かを作りたいという気持ちが途絶えたことはない。それがこれからも続けばいいと思う。ひとまずここでマイクポップコーンを大学の正門に投げつけてから一区切りとしたい。

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