映画『六人の嘘つきな大学生』を観てから原作を読んで、再び映画を観に行った私のネタバレしかない感想
ところで
原作は『六人の噓つきな大学生』なのね。
”噓”と”嘘”
正しい表記(正字)は”噓”だそうです。
映画のプロモーションで「誰かが亡くなる」と言ってたので
「え?ネタバレ?就活から殺人事件に発展するの???」
と思ってたよ。
違ったね(笑)
さて、事件の罪を被り嶌衣織への想いを秘めた(バレバレだったけどw)まま最終選考会場から立ち去った波多野は不幸にも若くして病死するわけだが、彼の短い人生は失望のまま終わったんだろうか。物語の中では明かされなかった時間を幸せに過ごしていたんじゃないだろうかと、映画と原作の両方を見て思ってる。
波多野があの後就職したことは映画でも明かされているが、原作では衣織が驚くほどの有名企業に勤めていたと書かれている。悪夢の最終選考後にどん底に陥った彼だったが、サークルの仲間の支えにより立ち直り就職のために留年して自ら掴んだ会社。その後の社会人として忙しくも充実した日々を送ったのではないかと、私は想像する。
事件後当初こそ怒りにまかせてスキャンダルの裏取りを始め、自分を陥れた全ての者たちの就活を妨害しようとしていたが、真実を知ることで己の行動の愚かさに気付いた波多野なら新しい一歩を誠実に歩き出せたのじゃなかろうか。病が発覚して以降は当然辛いことの方が多かっただろうが、そこに事件の時に味わった失望や孤独はもう存在しなかったのでは?封印したデータについても忘れていたのではないだろうかと。
そもそも、就活の成功とはどういうものなのだろうか?
これは映画を見た当初から私の中でモヤモヤと疑問が残っている。
物語の舞台であるスピラリンクスは、時代の最先端を行くネットコンテンツを運営する”おしゃれ”で”キラキラした”企業(ミーティングルームではダーツが出来るらしいw)。いかにも社会経験が浅い新卒生が憧れそうな会社だと、私のような年配者はひねくれて感じてしまう。
就活中の学生がどれほど切羽詰まっているかを私には計り知れないが、最終選考の無茶ぶりの時点で企業体質への疑問を感じてしまうし、何なら選考に落ちて別の企業に行ったほうがいいのではとさえ思う。若干22歳の若者たちが狭い会議室の中で修羅場を繰り広げる様子を別室で見ていられる大人の神経を疑ってしまう(怒ってるよ、私は)
まぁ、当の就活生たちはそれどころじゃないでしょうがね。
スピラの採用を勝ち取った嶌のその後はどれほど充実していたか?九賀は事件を起こしたきっかけである友人とビジネスを立ち上げたのだから正解だったのでは?袴田、矢代、森久保についても結局は自分を活かせる職に辿りついているのだから良かったやん!と思うよね。
波多野に話を戻すが
8年後に清々しい顔で集まった5人と違い死去による不在のため不運な印象しか残っていない波多野祥吾も、キラキラした笑顔の日々を過ごしていたはずだから5人には憐れんでほしくないと強く思う、私は。